世界で最も危険なサーフポイント
「シップスターン・ブラフ」は世界でもっとも荒っぽいサーフポイントとされている。タスマニア島南部に位置するケープ・ラウルの海岸からボートで30キロほど沖合に出たポイントで、サーファーたちはそのあたりを「デイヴィ・ジョーンズの監獄」と呼んでいる。
サーファーのあいだでそのポイントは世界で最もワイルドで危険な場所だとされている。波もそうだし、あたりはホホジロザメの根城なのだ。この波は予測のできない変化をすることで知られており、急に何段にも盛り上がり、サーファーを宙に放り出す。これは「悪魔の段差」と呼ばれる。
波が発生するのは沖合に数キロ離れた地点だが、そのポイントで波は高さ9メートルに達する。3階建の建物に相当する高さだ。オーストラリアのサーファー、ミック・ファニングはこのシップスターン・ブラフを乗りこなすことのできる選ばれし少数のうちの一人であるが、彼はこの波を「アドレナリン爆弾」だと語っている。
ハワイのマウイ島の北側に位置する「ピアヒ」。またの名を「ジョーズ」といい、巨大で危険な波が発生することで知られる有名なサーフポイントである。「ピアヒ」とは現地の言葉で、波という意味だ。
サーフポイント「ジョーズ」に行くためには、ハナ・ハイウェイを北にそれて、未舗装の道に入り、最後は岩でごつごつとした崖を降りていかなければならない。マウイ島の地元サーファーたちが1975年に初めてここでサーフィンをしたとき、小さな波が突如として大きく危険な波になることに驚き、その波を「ジョーズ」の予期せぬ襲来になぞらえたのだった(映画『ジョーズ』は1975年公開)。
そのあたりの海は沖で水深が30メートル以上あるが、岸のほうで一気に浅くなり、リーフ(海底に岩礁や珊瑚礁が形成されているところ)ではわずか6メートルほどの深さしかしかない。水深が浅くなると一般に波形は大きくなるが、このポイントではその変化が急激なので、サーファーの少しのミスが命取りになる。
ジョーズの波の大きさは、12月から3月にかけて、9〜24メートルとばらつきがある。この巨大な波がレイアード・ハミルトンやデイヴ・カラマなどの有名サーファーを惹きつけている。波があまりに巨大な場合は、トウインサーフィン(ボードに足を固定して、ジェットスキーに引っ張ってもらうサーフィン)で沖まで出ることもある。
北カリフォルニアのハーフムーンベイの北、ピラーポイント沖の有名なサーフポイントが「マーヴェリックス」である。そこに出現する波の途方もないパワーはサーファーたちから畏れられている。冬、太平洋で暴風が吹いて風波が立ち、海がうねると、そのうねりの大きさに応じてこのポイントでは7〜18メートルの大波が出現する。
深海から岩場が突き出していることでそのポイントでは巨大な波が発生するのだが、波があまりに巨大なため、ブレイク(波が崩れる)の際の衝撃は地震計にも感知されるほどだという。冬になると、世界トップクラスのサーファーたちがマーヴェリックスに集まってくる。現地では招待制のコンテスト『Titans of Mavericks』が1999年から毎年開催されている。
1967年3月初め、アレックス・マティエンソと友人のジム・トンプソンとリチャード・ノットマイヤーが、ピラーポイント沖合の波に乗るべく、岸から漕ぎ出した。マティエンソのルームメイトの飼い犬であるジャーマン・シェパード「マーヴェリックス」も彼らに付き添った。サーフィンのときはいつも一緒に泳いでいたのだ。そのときも3人のサーファーの後について、マーヴェリックスは北カリフォルニアの冷たい海に入っていった。
だが、サーファーたちは海のコンディションが犬にとって危険だと考え、犬を岸につないでおくことにした。その後サーファーたちは海岸近くの波に乗ったが、沖合の巨大な波はあまりに危険だと判断して引き返した。のちに彼らは、このサーフポイントを犬にちなんでマーヴェリックスと名づけたという。
ジェフ・クラークはハーフムーンベイで育ち、ハイスクールの窓辺からマーヴェリックスを眺めながら青春を過ごした。波はまるで、ギリシャ神話から出てきた怪物のように彼には見えた。人には飼い慣らされない存在だ。ジェフ・クラークは17才になり、この大波に乗れるかもしれないとふと思った。1975年、6〜7メートルの波が立つ中、彼はたった一人でそのエリアに漕ぎ出した。サーフ史の記録上初めて、マーヴェリックスに真正面から挑んだサーファーになったのである。
地元カリフォルニアの何人かのサーファーを別にすれば、マーヴェリックスは「ラリった」サーファーのでっちあげた夢物語だと思われていた。当時のビッグウェーヴ・サーファーたちはマーヴェリックスの存在をまったく信じなかった。カリフォルニアには大きな波が立たない、というのが70年代の定説だったのだ。
90年代になると状況が変わる。サンタクルーズやサンフランシスコのサーファーたちが、ジェフ・クラークや彼の仲間と一緒にマーヴェリックスでサーフィンを始めたのだ。1990年、クラークの友人のSteve Tadinが大波のてっぺんに立つ写真が雑誌『サーファー』の表紙を飾ると、マーヴェリックスは突如としてリアルな存在になった。
1994年12月23日、大きなうねりが海水に生じた週のこと、ハワイ出身のビッグウェーヴ・サーファー、マーク・フーがマーヴェリックスに挑戦し、命を落とす。彼は有名なサーファーだったので、その死は大きく報じられた。
世界でもっとも美しく、そして危険なのがタヒチ島の「チョープー」に立つ波である。波に乗らないとしても景観は抜群だ。ここには大小さまざまな波が揃っているが、南太平洋の大きなうねりがリーフにぶつかって大波が立つと、並みの腕前では立ち向かえない。
このサーフポイントは屈指のビッグウェーヴスポットとして世界的に有名である。クリスタルのように美しい波で、2.5メートルから3メートル、ときには7メートルの高さにもなる。
チョープーはワールドサーフリーグが主催するプロサーフィンコンテスト「Billabong Pro Tahiti」の舞台となっている。
タヒチのサーファー、Thierry Vernaudonと地元のサーファー何人かが初めてチョープーの波に乗ったのは1986年のことだったが、それからまもなく、チョープーはスリルを求めるサーファーたちの隠れた巡礼の地となる。ドキュメンタリー映画『ライディング・ジャイアンツ』の中では、2000年8月17日にレイアード・ハミルトンが乗った波がこれまでチョープーで乗られた波のなかで「最もヘビーな」波だったことになっている。
チョープーはタヒチの言葉で、「頭蓋骨のありか」くらいの意味だという。タヒチのサーファー、Briece Taereaはチョープーの巨大な波に挑み、命を落とした。
サーフィンというスポーツは数世紀にわたって発展を遂げ、さまざまな種類のサーフィンが誕生してきた。それぞれのスタイルや波の性質に合わせて、上手い人もそうでない人も、いろいろな楽しみ方ができるのが現代のサーフィンである。とはいえ、サーファーたちがみな同じように抱く感情がある。大海原で巨大な水の塊に立ち向かうときの、言葉にしがたい興奮と恐怖。はたからみれば狂気の沙汰に見えようと、彼らはそこに自由を見ているのだ。