世界最大の自転車レース「トゥール・ド・フランス」を揺るがせてきたドーピングスキャンダル
毎年夏に開催される世界最大の自転車レース、トゥール・ド・フランスは賞金の額も、選手にかかるプレッシャーも最大級だ。そのため、時としてその重圧に負けた選手が違法なドーピングに頼ってしまうことも。さらにはそのドーピングスキャンダルが複数の選手に波及して、業界全体の汚点として残り続ける場合すらある。今回はトゥール・ド・フランスをめぐるドーピング事件をおさらいしてみよう。
トム・シンプソンはイギリスの選手で、1965年に世界チャンピオンとなっている。だが、彼のことは、1967年トゥール・ド・フランスの最中にヴァントゥー山で亡くなった人物として覚えている人が多いだろう。
第13ステージを走行中だったシンプソンはヴァントゥー山頂上付近で倒れた。アヴィニョンの病院に搬送されたが、すぐに死亡が宣告された。
シンプソンはアンフェタミンを摂取していたとされ、これがアルコールや熱中症、体力の消耗などと組み合わさった結果死につながったようだ。ヴァントゥー山にはシンプソンを偲ぶモニュメントが残されている。
ベルギーの選手、ミシェル・ポランティエールは複数の区間優勝経験を持つ有力選手だった。だが、1978年、衝撃的なドーピング事件が発覚して失格となった。
ポランティエールは優勝候補と目され、アルプ・デュエズ区間でも優勝、個人総合成績一位の証であるマイヨ・ジョーヌを身につけていた。そして次の区間終了後、ドーピングテストを受けることとなった。
ポランティエールはクリーンな尿をコンドームに入れてわきの下に隠し持ち、それを手元から管を通して出すことでテストをごまかそうとした。それが発覚したため、ポランティエールはただちに失格となり帰国を命じられた。
ヨープ・ズートメルクはトゥールでの優勝経験のある数少ないオランダ人選手だ。悲願の優勝は1980年のことだが、実はそれ以前に複数回ドーピング検査で陽性反応が出たことがある。
写真:ヨープ・ズートメルク(中央), screenshot Instagram, @desktoppeloton
ズートメルクがトゥールでの検査で陽性とされたのは3回、1977年、1979年、そして1983年のことだ。
写真:ヨープ・ズートメルク(右), screenshot Instagram, @kidpagorn05
1998年のフェスティナ事件は数あるトゥールでのドーピング事件の中でも最悪のものだろう。
きっかけはトゥール開幕直前、フランスとベルギーの国境で自転車競技チームの「フェスティナ」の専属理学療法士ウィリー・フートの車からドーピング用の薬物が発見されたことだった。
「フェスティナ」にはフランスのスター選手リシャール・ビランクも所属していたが、この問題でチームのマネージャー、ブルーノ・ルッセルと専属医のエリック・ライカートが逮捕されたことを受けてトゥールから除外された。複数の所属選手がドーピングを認めて資格停止となったほか、ほかにも棄権するチームが出たり、オランダのチーム「TVM」も禁止薬物を所持していたことが発覚するなど、大規模なスキャンダルとなった。
スペインの医師、エウファミアノ・フエンテスに対して警察が行った大規模なドーピング摘発作戦「オペラシオン・プエルト」もトゥールに大きな影響を及ぼした出来事だ。
2006年5月、スペイン国家警察がいわゆる血液ドーピング用に採取されたと思われる大量の血液サンプルと輸血用の器具をマドリードで発見・押収。フエンテスを含む5名がドーピング容疑で逮捕された。
この事件の影響は大きく、イヴァン・バッソやヤン・ウルリッヒ(写真)のような有力選手も関与が報道されて2006年のトゥールから除外された。
2013年にはフエンテスが法廷に立ち、自転車競技以外にも多くのスポーツ界に関与したアスリートがいることを明かした。フエンテスはこの時は懲役1年の判決を受けたが、2016年には無罪判決を受けている。
フロイド・ランディスはアメリカの選手で、2006年にトゥールで優勝を果たした、と思われた。
トゥールでの優勝後、ランディスの尿検査が行われ、異常なテストステロン値が確認された。結局ランディスの優勝は剥奪され、スペインのオスカル・ペレイロの総合優勝が認定された。
アルベルト・コンタドールも似た経緯をたどった選手だ。2007年、2009年、2010年にトゥール優勝を果たした有力選手だったが、2010年の優勝は後のドーピング検査の結果を受けて剥奪されてしまった。
コンタドールが抗議したこともあって処分は紛糾したが、2012年の2月に2010年の優勝記録の剥奪が決定、優勝はアンディ・シュレク(写真左)となった。コンタドールは他にも2012年8月までの出場停止処分も受けている。
ドーピング事件に関わった中でも最大のビッグネームはランス・アームストロングかもしれない。トゥールで1999年から2005年まで7年連続優勝という新記録(当時)を打ち立てたレジェンドだったのだが……
やがて、アームストロングがそのキャリアにわたって各種ドーピングを行い続けていたことが発覚、7年間の優勝記録はすべて剥奪された。