伝説の女子プロレスラー、リタの栄華と現在
空中技を使いこなす本格派のスタイルで颯爽と現れたリタは女子プロレス界の異端児だった。米プロレス団体WWE(旧WWF)所属の女子プロレスラーが大なり小なりお飾り扱いを受けていた時期に、リタは技術力と身体能力、そして高い意識を持って業界に飛び込み、スポーツ・エンタメにおける女子選手の役割を大きく変えていった。
写真:Screenshot YouTube @WWE
偉大な女子選手は数いれど、与えた影響の大きさという点で言えばリタの右に出る者はいないだろう。一方、選手としてみた場合、リタは怪我や個人的な問題、業界政治などに悩まされトップクラスでいた期間はあまり長くない。そんなリタの波乱に満ちたキャリアを振り返り、現在の様子もチェックしよう。
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リタことエーミィ・ダーマスはメキシコでレスリングを始めた。エル・ダンディやリッキー・サンタナといった選手たちとともに研鑽を積み、1998年にメキシコのプロレス団体CMLLでデビュー。プロレスを始める前、ダーマスはワシントンで音楽活動をしていたが、米団体WCWでレイ・ミステリオ・ジュニアのルチャリブレを見たことがきっかけでプロレス界に飛び込んだという。リタはプロレスをより深く知るためにメキシコに飛び、レッスン料はメキシコシティでステージに立って稼いだ。
1999年にはアメリカに帰国、MCWやNWAミッドアトランティックなどのインディ団体に参加していた。そこで出会ったハーディ兄弟がリタと一緒に練習することを提案すると、リタの才能が徐々に知られるようになった。数か月後にはアンジェリカというリングネームでWWEのプロレス番組「ECW」への出演が決まっていた。
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それがWWF(現WWE)のビンス・マクマホンの目に留まり、その年のうちに契約が提示されていた。2000年代初頭にはついにリタとしてWWFに登場し、ムーンサルトプレスやハリケーン・ラナなどルチャ系のテクニカルな空中技を披露してただちに人気を獲得。その後、昔なじみのハーディ兄弟と組んでチーム・エクストリームを結成した。
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いままでのプロレスとは一線を画した、ダーティで空中技を多用するハードコア路線は人気を博し、チーム・エクストリームはWWFの中でも大きな存在感を発揮、リタの人気も急上昇した。リタは女子として初めてTLC戦に出場したほか、女子王座も獲得、ライトヘビー級王座にも挑戦している。
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リタの身体能力や技術はトップレベルで、同時期の女子レスラーからは頭一つ抜けていた。そのためリタの相手は男子レスラーが多く、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンやトリプルH、エッジ&クリスチャン、ダッドリー・ボーイズなど錚々たる面子が揃っている。一度などスティーブ・オースチンから頭部に執拗なパイプ椅子攻撃を受けたこともあり、頭部への攻撃が一般的な時代だったとはいえこれはさすがに議論を呼んだ。
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2001年初頭にはプライベートで付き合っていたマット・ハーディとの関係が番組「Raw Is War」の中で明かされ、リタ、ハーディ・ボーイズ、そしてWWF全体を巻き込んだアングルとしても活用された。この頃こそチーム・エクストリーム、とりわけリタの黄金時代だったと言えるだろう。
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2002年、リタはドラマ『ダーク・エンジェル』の撮影中に首を負傷してしまう。スタントとしてハリケーン・ラナを使ったところ、首から落下してしまい頸椎を三か所損傷したのだ。治療には手術が必要で、17か月ものあいだ離脱を余儀なくされた。
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2003年、怪我から復帰したリタを待っていたのは新しくなった環境だった。WWFがWWEになり、スターたちも「Raw」と「Smackdown」の2つの番組に割り振られた。リタは「Raw」に参加することになったが、マット・ハーディは「Smackdown」側だった。しかもジェフは解雇されたとあって、チーム・エクストリームは解散してしまった。
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その後リタはトリッシュ・ストラタスとのタッグからの対立などのストーリーに参加、一線級の選手として挑戦を続けた。この頃の新機軸で印象的なのは、注目を浴びたペイ・パー・ビューシステムでのイベント・マッチや史上初の女子ケージ・マッチなどだろう。
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ケインとの結婚やエッジとの不倫などの風変わりなストーリー展開が行われたのもこの頃だ。エッジとの不倫が実生活での出来事に基づいていたこともあって、この展開は議論を呼んだ。この時期はまだマット・ハーディとの関係も続いており、マットがいろいろな裏話をブログに投稿していた。
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そうしたことが重なり、ついにマットが解雇されることになってしまう。これはファンからは不興を買い、きっかけとみなされたリタが登場するとブーイングが巻き起こるように。けっきょくファンからの圧力を受けてマットは復帰することになった。この頃のライブイベントでは、かつてはリタに声援を送っていた観衆がブーイングを送り、「マットを潰したな」「マットを返せ」などと叫ばれていた。
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リタとエッジの方はというと、WWEはこの関係を目ざとく利用し、2005年から翌年にかけてストーリーに組み込まれ、エッジとマットのリベンジ・マッチやリタとエッジの本番ショーなども行われた。この出来事を受けて、デビュー以来一貫してベビーフェイスとして人気だったリタがファンの不興を買いヒールに転向することに。
この一連のストーリーでも一番物議をかもしたのはリタとエッジが「Raw」でリングにベッドを持ち込んだ本番ショーだろう。実際に行為が行われたわけではないものの、当事者にとっては決して気楽にできることでもなかった。特にリタはこの時感じた屈辱についてしばしば語っており、やりたくなかったが解雇を盾に強要されたということらしい。
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この時期はリタにとってとくにつらい時期だったようだ。2022年にルネ・ヤングのポッドキャスト「オーラル・セッションズ」に出演したリタはこう語っている:「誰も味方がいないように感じていました。ひとりで孤立しているようで、もう最悪でした」そして、当時は自分の軽率な行いが罰せられるべきだと感じており、ストーリーもそういう気持ちで受け入れていたとも語っている:「自分でベッドを整えて、そこで寝るようなものです」
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プロレス上のストーリーと実生活の出来事が一体化した結果、ファンから浴びるヘイトもリアルで苛烈なものとなった。エッジとマットとの三角関係のストーリーラインに何か月間も耐え、その間に女子王座のタイトルまで獲ったリタだったが、精神的にも消耗してしまいついに2006年末に引退を決意する。当時わずか31歳だった。
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女子レスラーのなかでも一際才能に富んだ選手がただのストーリー上の駒として扱われたのは不幸なことで、その扱いに比例するかのように人気も低迷してしまった。リタが残した功績は雇用主であるWWEによって破壊されたと言っても過言ではない。
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引退後、リタはどちらかといえばプロレスからは距離を置いていた。2007年から2014年にかけては、インディー団体やWWEのイベントにときどき出るだけだった。むしろいままでとは違ったキャリアを模索した時期で、ラジオアナウンサーになったり、自身のバンド「ザ・ルチャゴールズ」でボーカルを務めたりしていた。
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2014年、リタはディーヴァ仲間であり私生活でも友人のトリッシュ・ストラタスとともに殿堂入りを果たした。以来、リタはWWEに以前よりも深く関わるようになり、トレーナーやプロデューサー、バックステージ・プロデューサー、ライター、解説者など多くの業務に携わっている。
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2022年には「もう一度やりたい」としてリングに復帰し「Smackdown」に登場。「Royal Rumble」にベッキー・リンチとタッグを組んで出場したレッスルマニアイベントで王者チームを破り、自身初となるタイトルを獲得した。いまはもう一人の帰ってきたレジェンド、トリッシュ・ストラタスとのストーリーに参加している。
写真:Screenshot YouTube @WWE
女子レスラーとして大きな功績を残したリタも、いまようやく正当な評価を得つつあるようだ。ペイジやAJ・リー、ベイリー、ディオナ・パラッツォなど偉大な先達としてリタを挙げる現役選手は数多い。WWEからもこう書かれている:「WWEユニバースを牽引してきた偉大なディーヴァ。ハーディ・ボーイズと組んで空中技を繰り出したり、エッジと組んで検閲官を青ざめさせたりと、4度女子王座を獲得したリタはいつでも世の話題をさらってきた」
写真:Screenshot YouTube @WWE
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