偉業を成し遂げたレブロン・ジェームズ:NBA通算得点記録を塗り替える
2023年2月8日、ロサンゼルス・レイカーズの英雄レブロン・ジェームズはオクラホマシティー・サンダーとの一戦で38ポイントを挙げ、NBA歴代最多得点記録を更新した。これにより、40年近く続いていたカリーム・アブドゥル=ジャバーの最多得点記録が破られたことになる。
カリーム・アブドゥル=ジャバーが打ち立てた 38,387得点という偉大な記録は、どんな選手も超えることができないと考えられていた。それを破ってみせたレブロン・ジェームズは、バスケットボール界に永遠に名を刻んだことになる。
対オクラホマシティー・サンダー選の第3クォーターの残り10秒、レブロン・ジェームズは得意とするフェイドアウェイシュートを決めてNBA新記録を達成した。
ニュースサイト『The L.A. Times』によれば、レブロンは次のように述べている:「まだ実感がわかないよ。振り返るとコートに仲間たちが集まってきて、子どもたちや妻、母親もそこに立っているんだ。シュールな気分になったね」
バスケットボールの歴史を変える大記録を打ち立てたスーパースター、レブロン・ジェームズの輝かしいキャリアをふりかえってみよう。
レブロン・ジェームズは高校を卒業した18歳でNBA入りを果たし、2003年10月29日、クリーブランド・キャバリアーズのルーキーとして初出場を飾った。
サクラメント・キングスとの開幕戦、リッキー・デイビスのアシストから16フィートのジャンプショットを決めるなど、レブロン・ジェームズはいきなり1試合25得点を挙げた。
年明けの2004年2月、快進撃を続けるジェームズは通算1,000得点を達成。これはNBA史上最年少の1,000得点達成記録となった。
通算1,000得点を記録した時のジェームズはわずか19歳と41日。ボストン・セルティックスとの試合で記録を打ち立てた。負傷で途中退場となったものの、この試合では24得点を記録した。
クリーブランド・キャバリアーズの新星、ジェームズは次の目標である通算5,000得点に向けて目覚ましい活躍をつづけた。
やがて21歳になったジェームズは、ロサンゼルス・レイカーズのコービー・ブライアント選手のもつ5,000得点達成の最年少記録までわずか45得点に迫っていた。そして2006年1月に行われたユタ・ジャズ戦で51得点を挙げてチームを勝利に導き、自身は通算5,000得点の最年少記録をみごとに更新した。
「キング・ジェームズ」と呼ばれるようになったレブロン・ジェームズはその後も華々しい活躍を続け、さらに368試合を経て「10,000得点を挙げた選手」リストに名をつらねた。当時、NBA史上9番目に早く10,000得点に達した記録となった。
1,000得点を達成した試合と同じく、ジェームズは通算1万という得点を挙げたボストン・セルティックス戦でも負傷交代を強いられた。それにもかかわらず、この試合で26得点を挙げている。
当時ジェームズが所属していたクリーブランド・キャバリアーズは、80年代終わりから90年代初めにかけてブラッド・ドアティが記録的なスコアラーとして活躍し、クラブ史上最多得点記録を残していた。
2008年3月、レブロン・ジェームズはトロント・ラプターズ戦で29得点を挙げた。これによりブラッド・ドアティが14年間保持していた10,389得点というクラブ最多記録を塗り替え、自身の通算記録を10,414得点にのばした。
レブロン・ジェームズは目覚ましい活躍を続け、2014年にはクリーブランド・キャバリアーズをNBAファイナルへと導いた。ただし、このときの優勝杯はゴールデンステート・ウォリアーズの手に渡っている。
2013年1月、マイアミ・ヒートで活躍していたジェームズは28歳と17日で通算2万得点を達成した。史上最年少での達成であり、この偉大な数字に到達したMBA歴代38人目の選手となった。
2014年3月、シャーロット・ボブキャッツ(現シャーロット・ホーネッツ)との対戦で1試合自己最多得点記録を打ち立てた。この記録はいまだ塗り替えられていない。
いくつもの試合で50得点を挙げているレブロン・ジェームズだが、このときのボブキャッツ戦ではなんと61得点をマーク。フィールドから33本のショットを放ち、うち22本をネットに収めている。
2018年1月、サンアントニオ・スパーズ戦の第1クォーター残り1秒で「キング・ジェームズ」がジャンプショットを放ち、ボールがゴールネットを揺らした。これにより、ジェームズは通算30,000得点という偉業に到達したMBA史上7人目の選手となった。
これにより38歳のレブロン・ジェームズはMBA史に輝くマイケル・ジョーダン、コービー・ブライアント、カリーム=アブドゥル・ジャバー、カール・マローン、ダーク・ノビツキーといった史上最高の選手たちと肩を並べた。
ジェームズは2018年にロサンゼルス・レイカーズに移籍。2019年3月6日に行われたデンバー・ナゲッツ戦を通じ、子供のころから憧れてきたマイケル・ジョーダンの通算32,292得点という記録を追い越した。
ジェームズはデンバー・ナゲッツ戦で通算32,295得点を達成、NBA歴代4位に浮上。
2020年1月25日、ジェームズはフィラデルフィア・セブンティシクサーズ戦で29得点を記録し通算33,655得点を達成、同じロサンゼルス・レイカーズで活躍したスーパースター、コービー・ブライアントのもつ通算得点記録を超えて歴代3位に浮上した。しかしこの翌日、ロサンゼルス郊外のカラバサスで起こったヘリコプター墜落事故で、ブライアントは悲劇的な死を遂げている。
コービー・ブライアントの引退前の通算得点記録は33,643だった。成功率の高さから「ブラックマンバ」の異名をとるスーパースターであるブライアントに追悼の意を捧げ、ジェームズは「Manba 4 Life(マンバよ、永遠に)」と新たなタトゥーを入れた。
ジェームズは2022年3月19日の試合でカール・マローンの通算得点記録を塗り替え、歴代2位に浮上。そして2023年1月のフィラデルフィア・セブンティシクサーズ戦で、通算38,000得点に到達した史上2人目の選手となった。
通算38,000得点の高みに達したジェームズに対し、バスケットボール界のあらゆる人々がジェームズがNBA史上最高記録を破る瞬間を待ち望んでいた。
2023年2月8日、オクラホマシティ・サンダー戦に出場したジェームズは第3クォーターの残り1分でフェードアウェイショットを放った。このシュートにより、40年近く続いたカリーム・アブドゥル=ジャバーのMBA最高記録を超え、通算得点歴代1位の選手となった。新たな伝説が生まれた瞬間だ。