サッカー元ガーナ代表のアサモア・ギャン:波瀾万丈の人生を振り返る
元ガーナ代表のアサモア・ギャンは、かつて世界で最も年俸の高いサッカー選手の一人であった。しかし、ガーナの情報サイト「ガーナウェブ」によると、口座残高がわずか724ユーロ(約11万円)にまで落ち込むという辛い時期を経験したそうだ。
一時期は離婚の慰謝料や養育費、浪費問題が原因で窮地に陥っていたギャンだが、ようやく起業家として復活を遂げたようだ。
ギャンは1985年にガーナで生まれ、2003年に18歳でイタリアリーグでプロデビューを果たした。そして2010-11シーズン中には、リーグアンのスタッド・レンヌからプレミアリーグのサンダーランドAFCに、1,600万ドル(約24億6,000万円)という金額で移籍を果たしたギャン。
このときの移籍金はサンダーランドAFCにとって史上最高金額となったが、金額に見合った成果をギャンは発揮したようだ。サッカー専門サイト「トランスファーマルクト」によると、ギャンは最初のシーズンで31試合に出場し10ゴールを決めている。
しかし、移籍直後の活躍から一転、シーズン後半には思うような活躍ができず、ギャンは2011年にはサンダーランドからUAE(アラブ首長国連邦)のアル・アインでプレーするようになる。
米スポーツ専門チャンネル「ESPN」によると、アル・アイン時代のギャンは週に約19万ユーロ(約3,000万円)を稼いでいたそう。2011年から2015年にかけて、123試合で合計128ゴールを記録している。
しかし、イスラム教国であるUAEの戒律に反する髪型をしているとして、厳しい批判を受けることに。2015年、サッカーブームが巻き起こっていた中国リーグのチーム、上海上港に移籍を果たす。
英スポーツ専門チャンネル「スカイスポーツ」によると、週給27万4,000ユーロ(約4,500万円)を稼ぎ、その給与はネイマールやガレス・ベイルといったスター選手を上回ったという。
とはいえ26試合で8ゴールという不調に留まり、ギャンに支払った給与から計算すると、チームは1ゴールあたり約360万ユーロ(約5億8,000万円)の損失を被ったとガーナのオンラインメディア「モダンガーナ」は報じている。
その後のキャリアは低迷の一途を辿ったようだ。アル・アハリ・ドバイ、トルコのカイセリスポル、インドのノースイースト・ユナイテッド、ガーナのレゴン・シティーズと幾多のチームを渡り歩き、2023年に37歳で引退を表明した。
サッカー選手を引退後、賃金の未払いや夫婦間のいざこざ、過度の浪費により、金銭的に困窮していたことを明らかにした。
インフルエンサーの妻ギフティとの泥沼離婚騒動により、イギリスの別荘や、ガーナの首都アクラにある自宅、高級車2台、ガソリンスタンドなど、多くの資産を手放す羽目になったそうだ。
経済的に破綻した後、起業家として再出発を果たしたギャン。ボクシングやテニスのトーナメントを開催したり、母国のガーナでバス会社やガソリンスタンドを経営する傍ら、航空会社を設立したりと、多角的に事業を展開している。
加えて、ガーナの青少年育成を目的とする「アサモア・ギャン財団」を設立。政治的に中立な立場を表明しつつ、母国における人道支援に注力している。