サッカー元トルコ代表、アメリカに亡命してウーバー運転手に
1971年生まれのハカン・シュキュルは、トルコ出身の元サッカー選手で、同国サッカー史における最高のプレーヤーとして記憶されている。
「ボスポラスの雄牛」という愛称で親しまれたこの元フォワードは、「Transfermarkt」によると、キャリアを通じてガラタサライでは288ゴール、トルコ代表チームでは51ゴールをあげ、それぞれの最多得点選手となっている超一流ストライカーなのだ。
191cmと長身で引き締まった体型のハカン・シュキュルは、1987年にシュペル・リグ(トルコ第1部リーグ)にデビューを果たし、1992年にガラタサライに移籍した。1995年にトリノFC(セリエA)に移籍するも、結果がふるわずすぐさま帰国、ガラタサライに戻ると調子を取り戻し、リーグ優勝に貢献する大活躍をする。2000年にふたたびイタリアに挑戦、インテル・ミラノ、パルマACと渡り歩き、2002年にはイングランドのブラックバーン・ローヴァーズへ。その翌年ガラタサライに再び戻り、2008年37歳で現役を引退した。
ややトリビアルな情報だが、ハカン・シュキュルは2002年の日韓W杯に出場した際、韓国戦の試合開始からわずか11秒で相手ゴールネットを揺らした。これはW杯史上最速のゴールとして記録されている。しかし、引退後のハカン・シュキュルを待ち受けていたのは、サッカー選手としての現役時代よりも波乱万丈な人生だった。
ハカン・シュキュルは、2015年にトルコから亡命、今はアメリカでウーバーの運転手をしているのだ。この運命の変転において重要な役目を果たしているのが、トルコの政治家、レジェップ・タイイップ・エルドアンである。
ハカン・シュキュルが2018年『ニューヨーク・タイムズ』紙のインタビューで語るには、選手を引退したあと彼は政治の道を志したのだという。トルコ代表として長らくプレーしサッカーを通じて国民を励ました彼は、今度は政治の世界でトルコ国民の力になろうと考えたのだ。そして、ガラタサライのユニフォームを脱いでから3年が経った2011年、ハカン・シュキュルは公正発展党(AKP)から出馬して当選、晴れて国民議会議員となった。このAKPの党首が、のちのトルコ大統領レジェップ・タイイップ・エルドアンである。
晴れて国民議会議員となったハカン・シュキュルだが、その2年後の2013年、「ヒズメット運動」という社会勢力とAKP政権との確執が深まるなかで、政府高官を巻き込んだ大規模な汚職事件が明るみに出る。ハカン・シュキュルはそのときの党の対応に幻滅、議員を辞して党を離脱した。一方エルドアンは翌年2014年に大統領に就任、専制の色を強めていくなか、シュキュルは2015年にアメリカに移住したのである。
その後トルコ内政はさらに悪化、2016年7月に軍の一部反乱勢力によるクーデター未遂事件が起きると、エルドアン政権は事件の黒幕を「ヒズメット運動」の思想的リーダーであるイスラーム指導者フェトフッラー・ギュレン師であると断じ、同師の身柄を拘束し引き渡すようアメリカに要求した(ギュレン師はペンシルベニア州に亡命中だった)。ギュレン師と繋がりがあるとみなされた多くの人々は公職追放や投獄など弾圧の対象となり、米国に住んでいたハカン・シュキュルも警戒の対象とされたのだ。
先述のとおりハカン・シュキュルは、不穏な雲行きを察知して2015年に渡米しており、クーデター未遂事件発生時にはトルコにいなかった。だが、シュキュルもギュレン派であったため、トルコ政府による弾圧の動きとは無縁ではいられなかった。
写真:Instagram - @hakansukur54
アメリカに渡ったハカン・シュキュルは、カリフォルニア州パロアルトで知人とカフェを始め、自らも店に立っていた。しかし、クーデター未遂事件の発生後シュキュルにも逮捕状が出されるなか、カフェに怪しい人物が出入りするようになる。食事がおいしいと評判のカフェだったが、万が一のことを考えると閉店の決断は避けられなかった。
写真:Instagram - @hakansukur54
2020年の独紙『ヴェルト・アム・ゾーンタク』のインタビューで彼はこう語っている。「世界のどこにも僕の資産はありません。エルドアンは僕からすべてを奪っていきました。つまり、自由への権利、自己を表現する権利、働く権利です」
クーデター未遂事件後、ハカン・シュキュルには逮捕状が出され、銀行口座は凍結、トルコ国内のビジネスと資産を差し押さえられ、シュキュルの父親は1年近く投獄されたという。
今日に至るまで、彼は故郷の土をふたたび踏むことができていない。トルコに帰ればすぐに逮捕されることは目に見えているからだ。それでも彼は、『ニューヨーク・タイムズ』のインタビュー(2018年)でこう語っていた。「トルコは僕の国であり、僕はトルコの人々を愛しています。たとえ人々が僕のことを、統制下のメディアによって歪められた形で思い描いているにしても、そのことに変わりはありません」
『ヴェルト・アム・ゾーンタク』紙のインタビュー(2020年)で、ハカン・シュキュルはカフェをたたんだ後、ウーバーの運転手と書籍販売で生計を立てていると明かしている。Instagramの投稿を見ると、サッカー指導にも取り組んでいるようだ。
写真:Instagram - @hakansukur54