元大相撲の横綱、曙太郎さんが54歳で逝去
大相撲の元横綱、曙太郎さんが死去していたことが11日に明らかになった。54歳だった。曙太郎さんは外国出身力士として初めて大相撲で横綱昇進を果たし、引退後はK-1やプロレス界で活躍したことで知られている。
曙太郎さんの死因は明らかにされていないが、2017年に心不全で倒れて長期入院を経験、その後はリハビリに取り組んいたと『週刊文春』等のメディアが伝えている。
『デイリースポーツ』は、曙太郎さんが4月上旬に都内の病院で亡くなったと報じた。
写真:Unsplash/Alessio Roversi
曙太郎さんは1969年に米ハワイ州のオアフ島に生まれた(米国名:チャド・ジョージ・ハヘオ・ローウェン)。力士となってからは、身長203センチ、最高で体重233キロという恵まれた体格で力を発揮した。
写真:Unsplash/john ko
曙太郎さんは1988年にスカウトを受けて来日、同年に19歳で初土俵を踏んだ。その後は力士として幕下・幕内合わせ78場所に出場して654勝を挙げ、11回の幕内優勝を果たしている。
初土俵の2年後には幕内に昇進。それからわずか3年後の1993年に曙は横綱昇進を決め、第64代横綱となった。
1996年4月には曙太郎として日本国籍を取得。2001年1月に引退するまで人気力士として活躍を続けた。
1998年の長野冬季オリンピックでは開会式の際に、世界中の人々が見守る中で「横綱土俵入り」を披露した。
キャリア晩年にはひざの故障に悩まされ、2001年についに現役引退を決意。その後は曙親方として、所属していた東関部屋で後進の指導にあたった。
東関部屋の親方となってから2年後、曙太郎は相撲界を離れることを決意。日本相撲協会を退職するとともに格闘技のK-1への参加を発表した。
転身にあたり、曙親方を格闘技界にスカウトした人物がいるという。旧K-1のプロデューサーを務めていた谷川貞治氏が当時の曙親方を「口説き落とした」と、『日刊スポーツ』が伝えている。格闘家として華々しいデビューを飾った元横綱だったが、K-1での成績は12試合でわずか1勝とふるわなかった。
その後、2005年にプロレス界に参入。当時のスター選手「ビッグ・ショット」を相手にデビュー戦を飾り、WWEやハッスル、全日本プロレスなどの興行に2015年まで参加した。
2015年には株式会社「王道」を発足させ、興行主としてプロレス界への貢献を始めた。そんな矢先の2017年、急性心不全で倒れ、1年以上入院生活を送っていたと『日刊スポーツ』が伝えている。
リハビリに励むニュースが伝えられていたものの、今月になり訃報が伝えられた。日本の相撲界を沸かせ、その後も各スポーツ界に貢献した曙太郎さんの冥福を祈る。
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