大会直前に元恋人を失ったテニス選手、アリーナ・サバレンカが心境を明かす
テニス界の女王アリーナ・サバレンカは今年3月、元プロアイスホッケー選手だった元恋人コンスタンチン・コルツォフを亡くした。しかし、その悲劇のわずか数日後、サバレンカはマイアミ・オープンに出場した。
最近になって、英紙『ガーディアン』に対し、「今振り返ってみると、一度休養をとって気持ちを切り替え、全てをリセットした方がよかったかもしれません」と心境を明かした。
サバレンカは同紙に対し、「かつて父を亡くしたとき、テニスがその悲しみを乗り越えるきっかけになりました。だからコンスタンチンのときも、プライベートとキャリアを切り離してプレーし続け、今できることをするだけだと思ったんです」と語った。
グランドスラムで2度の優勝経験をもつサバレンカ。「十分に休養を取らなかったことで、メンタル面で不調に陥りました。その結果、感情的になりやすく、ストレスが溜まる日が続きました」と振り返った。
2024年3月、元NHL選手として知られるコンスタンチン・コルツォフが亡くなった。マイアミ・デイド郡警察の発表によれば、コルツォフは「自ら死を選んだ」という。コルツォフの元恋人だったアリーナ・サバレンカは当時、この知らせに大きく心を痛めたという。
コルツォフは世界ランキング2位のアリーナ・サバレンカとマイアミ・オープンで合流するはずだったと報じられている。テニス専門メディア「Tennis365」によると、2人は2021年から交際をスタート。仲睦まじい姿が何度も捉えられていたが、サバレンカのインスタグラムの投稿によれば当時2人はすでに破局していたという。
「コンスタンチンが亡くなったことは想像を絶する悲劇でした。もう恋人ではなかったとはいえ、心が張り裂けそうです。深い悲しみの底にある私、そして彼の家族のプライバシーを尊重していただきたいです」とサバレンカは投稿。
コルツォフは、しばしばサバレンカの応援に駆けつけていたという。サバレンカが優勝した2024年全豪オープンなど、いくつかの主要な大会で会場にいる姿が捉えられている。
しかし、コルツォフは42歳という若さでこの世を去ったのである。
コルツォフがアシスタントコーチを務めていたロシアのホッケーチーム「サラバト・ユラエフ」もSNS「テレグラム」上で追悼の念を表明。
「深い悲しみとともに、サラバト・ユラエフのコーチ、コンスタンチン・コルツォフが亡くなったことをお知らせします」と声明には記されている。
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「彼は強くて明るい人でした。選手、同僚、ファンから愛され、尊敬されていました。コンスタンチン・コルツォフは永遠に私たちのクラブの一員です。ご冥福をお祈りします」とチームは発表している。
ベラルーシメディア「テレグラフ」によると、当初コルツォフは血栓症が原因で亡くなったと報じられていた。
しかし、米放送局CNNによれば、マイアミ・デイド警察は、コルツォフは自ら命を絶ったと発表したという。米紙『デイリー・メール』によると、コルツォフはホテルのバルコニーから転落死を遂げたという。
「2024年3月18日月曜日午前12時39分頃、バルハーバー警察と消防救助隊が、コリンズアベニュー9703番地にある、セントレジスバルハーバーリゾートに派遣された」と警察は発表。
「マイアミ・デイド警察殺人課が対応し、コンスタンチン・コルツォフ氏の事件の捜査を引き継いだが、事件性は認められず、自ら命を絶ったものと思われる」と同警察は結論づけている。
米紙『ニューヨーク・ポスト』によると、ベラルーシ出身のコルツォフは米アイスホッケープロリーグであるNHLのピッツバーグ・ペンギンズで活躍。プロアイスホッケー選手として素晴らしいキャリアを築いたという。
その後、コルツォフはロシアの強豪クラブであるスパルタク・モスクワやディナモ・ミンスクなどでもプレー。
同紙によると、コルツォフはベラルーシ代表チームとしても活躍。国際試合も数多く経験し、2002年と2010年には冬季オリンピックにも出場している。
同紙によると、サラバト・ユラエフに所属していたコルツォフは2008年にロシア・スーパーリーグを制覇。「Tennis365」によれば、2016年にプロアイスホッケーから引退したという。