元横綱白鵬の前人未到のキャリアを振り返る

宮城野部屋が閉鎖へ?
発覚した暴力問題
「平成の大横綱」白鵬
白鵬の生い立ち
15歳で単身日本へ
身体づくりと稽古と
幕入りと同時に初金星
22歳で横綱に
朝青龍の引退で一人横綱へ
22歳で結婚、現在は1男3女の父
史上最多優勝記録を更新
怪我に悩まされる日々
幕内通算1,000勝を達成
日本国籍を取得
コロナ禍と怪我と
現役に別れを告げる
親方としての今後
宮城野部屋が閉鎖へ?

大相撲の宮城野親方(元横綱白鵬)が渦中の人となっている。3月10日、伊勢ケ濱一門が相撲協会に対し、宮城野部屋の親方と力士を一門内のほかの部屋に移籍させる案を出したことが伝えられた。これにより「宮城野部屋は当面、閉鎖の状態」となることをNHKを始めとするメディアが伝えている。

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発覚した暴力問題

事の発端は今年2月、宮城野部屋の幕内力士である北青鵬(22)が後輩力士に対し、日常的に暴力をふるっていたことが判明したことにある。相撲協会は宮城野親方(38)の監督責任を問い、2階級降格と報酬減額などの処分を決定した。なお、北青鵬はすでに引退している。

写真:Unsplash/Dan Burton

「平成の大横綱」白鵬

宮城野親方は、現役時代には「平成の大横綱」と呼ばれ、14年にわたり横綱の座を守るなど前例のない活躍を見せ、2021年に惜しまれつつ引退したことはまだ記憶に新しい。モンゴルから来日した小柄な少年が相撲界で打ち立てた記録を振りかえってみよう。

白鵬の生い立ち

元横綱白鵬は1985年、モンゴルの首都ウランバートルに生まれた。本名はムンフバト・ダヴァジャルガル。父は元モンゴル相撲“横綱”で、レスリングで初のオリンピックメダルを母国にもたらしたジグジドゥ・ムンフバト氏だ。同氏は複数のインタビューを通じ、元横綱白鵬は5人きょうだいの末っ子としてとてもかわいがられて育ったほか、幼い頃は相撲よりもバスケットボールに夢中だったと明かしている。

写真:Unsplash/Bolatbek Gabiden

15歳で単身日本へ

後に白鵬と呼ばれることになる少年は15歳でモンゴルから来日、宮城野部屋に弟子入りした。今では考えづらいが、その頃の白鵬は身長175cm、体重68kgとかなり小柄だったため引き取り手が見つからず、帰国前日に所属先が決まったというエピソードがある。

写真:Unsplash/Alessio Roversi

身体づくりと稽古と

力士としては身体が小さかった白鵬は食べることで身体を作り、熱心に稽古に取り組むことで力をつけた。その甲斐あり、急成長を遂げた白鵬は2004年初場所で十両へと昇進し、2場所後には幕下優勝を果たすという快挙を遂げた。

写真:Unsplash/Van Thanh

幕入りと同時に初金星

2004年の幕下優勝により、白鵬は同年11月に幕入りを果たす。19歳1カ月での入幕は海外出身の力士としては史上1位の若さであり、日本人力士を合わせた全体では史上4位の若さにあたる。さらに入幕後初となる場所で、当時の横綱朝青龍を倒して金星を獲得。翌年の5月場所でも破竹の勢いを見せ、自身初となる15戦全勝で優勝を果たした。

写真:Unsplash/Alessio Roversi

22歳で横綱に

大関昇進後の2007年にも全勝優勝を飾った白鵬に対し、相撲協会は満場一致で横綱昇進を承認。わずか22歳2カ月の横綱が誕生した。そこから白鵬は同じくモンゴル出身の横綱朝青龍とともに大相撲の一時代を築き上げる一方、強烈なライバルとして土俵上でにらみ合いを起こすなど多くの話題を提供した。

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朝青龍の引退で一人横綱へ

しかし、横綱朝青龍は不祥事が発覚したことで突然引退を表明、2010年に白鵬は一人横綱となった。翌年には角界を大きく揺るがせる八百長問題が発覚、20名を超える力士や親方の関与が認定されるなかで白鵬は一人横綱として相撲界を支えた。2012年になると大関日馬富士が横綱に昇進、16場所ぶりに東西に横綱が並んだ。

写真:Unsplash/Bob Fisher

22歳で結婚、現在は1男3女の父

プライベートでは2007年2月に当時大学生だった和田紗代子さんと結婚。同年5月には長女が誕生する一方で15日間全勝を挙げて横綱昇進を決めるなど、二重の喜びに包まれた。現在は紗代子さんとの間に1男3女、4人の子供を得ている。

史上最多優勝記録を更新

横綱在位7年目の2014年、大鵬のもつ史上最多優勝記録32回についに並んだ。同じくモンゴル出身である元横綱大鵬の背中を追いつづけてきた白鵬は、花道から引き揚げるときに涙をこらえきれなかったと、産経新聞等が伝えている。

怪我に悩まされる日々

しかし、相撲人生はつねに順風満帆とはいかなかった。2016年には右足指の怪我で9月場所を休場。2018年も怪我が続き、年明けに右足指を傷めて1月場所と3月場所を休場、7月は転倒による負傷で途中休場、11月は膝と足首の手術により初日から休場と思うような活躍ができなかった。このとき白鵬は33歳になっていた。

写真:Unsplash/Piron Guillaume

 

幕内通算1,000勝を達成

怪我をぬって復帰した2016年11月場所では幕内通算1,000勝という偉業を達成。2017年にはそれまで元大関魁皇がもっていた最多勝利記録を更新する通算1,047勝目を挙げた。一方、「将来は親方になって弟子たちを育てていきたい」と引退後の進路についても希望を明らかにした。ただし、規定により親方になるには日本国籍が必要とされている。

日本国籍を取得

2019年9月、横綱白鵬はついに日本国籍を取得し、日本名を「白鵬翔」とした。これにより、晴れて現役引退後も後進の指導にあたることが可能になった。日本国籍の取得にあたってはモンゴル国籍離脱が必要になるが、母国の両親もこれを支持したことを朝日新聞等が伝えている。

コロナ禍と怪我と

2019年年明けには歴代1位となる通算1,100勝目を挙げたものの、2020年は新型コロナウイルス感染が拡大して場所の中止や無観客開催が行われ、白鵬自身も右膝の負傷および手術により7月場所から翌年に欠けて6場所連続で休場。横綱審議委員会から休みがあまりにも多いとして「注意」の決議を受けることに。

現役に別れを告げる

2021年7月、連続休場から復活した白鵬は15日間全勝という見事な成績を挙げ、歴代最多を更新する45回目の優勝を手にした。しかし、手術した右ひざの状態は思わしくなく、同年9月に引退を表明。年寄「間垣」を襲名し、宮城野部屋を継承して親方となった。

親方としての今後

14年にわたり横綱として活躍した白鵬は横綱在位期間の最長記録を達成。さらに幕内優勝史上最多記録45回、幕内通算勝利最多記録1,093回など、合計5つのギネス記録を確立している。15歳で日本にやってきた小柄な少年は、21年にわたるキャリアを通じて相撲界の歴史を大きく塗り替えた。親方としても相撲界に大きく貢献してくれることを期待したい。

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