元FCバルセロナ選手が明かす「サッカーに翻弄された人生」
スペイン出身の元プロサッカー選手、イサック・クエンカは幼いころから才能を発揮してFCバルセロナの育成組織(カンテラ)に加わり、高い期待を寄せられる選手の一人となった。その活躍ぶりを当時の監督ジョセップ・グアルディオラに認められ、2011-12シーズンにバルサのトップチームデビューを果たした。
しかし、カンテラ出身の多くの選手がそうであるようにじきに他クラブへの移籍が決まる。そしてプロとしてさまざまなクラブで11シーズンを過ごした後、怪我のために早期引退を迫られることになった。
現役引退から2年を経て、クエンカはスペイン・カタルーニャ州の『ARA』紙のインタビューに応じ、怪我に苦しみ不本意な結末を迎えた自身のサッカー人生について語った。
クエンカはFCバルセロナの下部組織で研鑽を積んだのち2010-11シーズンにCEサバデルにローン移籍して目覚ましい活躍を見せる。翌シーズンにFCバルセロナに復帰を遂げた。
CEサバデルで素晴らしいシーズンを終えたクエンカは、FCバルセロナに復帰してからもリザーブチームで活躍。こうした動きがグアルディオラ監督の目に留まり、2011年10月25日、リーガ・エスパニョーラのグラナダCF戦でトップチームデビューを果たした。
2011-12シーズンにはFCバルセロナのリザーブチームに所属しながらトップチームにも参加。グアルディオラ監督率いるチームで少しずつ自身のポジションを確立していった。
クエンカのサッカー人生に狂いが生じ始めたのは2012年のことだった。FCバルセロナのトップチームでポジションを得て、2015年までの契約延長にサインしたばかりの頃だった。
2012年5月、クエンカは右膝に大怪我を負ってしまう。負担が少なく回復が早い低侵襲手術を選択し、関節鏡(内視鏡)手術を受けることになった。
しかし、リハビリのプロセスはきわめて厳しいものとなった。つねに困難が付きまとい回復には時間がかかり、ボールに再び触れられるようになるまでに6カ月、プレー復帰までに8カ月を要した。そのためFCバルセロナの試合に出場することはおろか、スペイン代表に加わりロンドン五輪に出場するチャンスも逃してしまった。
やがて怪我を克服したクエンカは、フランセスク・ビラノバを新監督に迎えていたFCバルセロナで2012-13シーズンをスタート、そして冬の移籍市場でオランダのアヤックス・アムステルダムにレンタル移籍が決定。新天地オランダに移ったものの、ふたたび状況が悪化してしまう。
アヤックス・アムステルダムに加わってからわずか2か月後、クエンカはふたたび右膝に重傷を負ってしまう。これによりシーズンの残りを棒にふり、今度は膝の外側半月板を手術することになってしまった。
クエンカは次のシーズンでFCバルセロナに復帰し、膝の回復を待って2014年5月13日にふたたびピッチに立った。しかしこれがバルサにおける最後の試合となり、同年7月10日に契約を解除、退団することになった。
バルサを退団した2014年の夏、クエンカはデポルティーボ・ラ・コルーニャと契約を交わす。コルーニャで29試合に出場し、2ゴール2アシストを記録。このシーズンは怪我に悩まされることはなかったが、成績はいまひとつふるわず、最終的にスペイン国外で力をためすことを決意。
2015-16シーズン、クエンカはトルコリーグのブルサスポルへ移籍。しかし試合出場回数はわずか19にとどまり、成績も1ゴールと2アシストとふるわなかった。翌年には母国スペインに戻り、グラナダFCと1年半の契約を結ぶ。
クエンカは『ARA』紙のインタビューを通じ、故郷や家族から遠く離れて暮らしたことでホームシックになっていたと振り返った。「若くして、突然住み慣れた環境から離れなければならなくなります。高い報酬を受け取っており欲しいものはほとんど手に入れることができました。日中はトレーニングに取り組みますが、時間はまだたくさん残っています。すると、深い孤独を感じるようになるのです。お金で孤独を埋めることはできませんから」
トルコから帰国してグラナダCFに在籍したクエンカは、2シーズンで38試合に出場、4ゴールと2アシストを記録。このシーズンに怪我はなかったが大きな成功はできず、2017年にイスラエルのハポエル・ベエルシェバFCに移籍を決める。しかし、加入から1年で契約解除となってしまう。
2018-19シーズンは出身地にもどりCFレウス・デポルティウでプレーした。しかし、2020年にクラブが解散するという憂き目にあい、プロサッカー選手を続けるには新たなクラブを探さなければならなくなった。
2019年、クエンカはJリーグ行きを決意。サガン鳥栖に加入し、29試合で6得点を決める。翌シーズンはベガルタ仙台へ移籍するが、シーズン途中で再び大怪我を負ってしまう。最終的に、治療に専念するため契約を解除しスペインへ戻ることになった。その後、31歳の誕生日を1週間後に控えた2021年4月20日に引退を発表した。
クエンカは『ARA』紙に対し、手術後の日本での日々を語っている:「週に1回しか練習ができず、試合後は足がボールのように膨らんでぱんぱんに腫れていました」
クエンカはさらに3回の手術を受けるが、症状は好転しなかった: 「なかなか回復できず、医師からは最新の手術をしてみるようすすめられましたた。クッションの役割をする軟骨がすり減り、脛骨と大腿骨がこすれることで運動障害を招いていたからです。さらに2回の移植が必要でしたが、状態は良くなりませんでした。そのためサッカーを辞めることにしたんです」
サッカーに別れを告げたことは、最良の決断だったとクエンカは語る:「引退することでプレッシャーから解放されました。最後の手術から膝の痛みがさらにひどくなっていたため、引退を決意したことで気持ちが楽になりました」
「もちろんサッカーへの想いはありますが、肉体的な苦痛があまりにも大きかったので、もう十分、やめてもいいだろうと思いました。ごく普通の生活がしたかったのです」とクエンカはインタビューで語った。
「サッカーから得た最大の教訓は、すべてが自分の思い通りにはなるとは限らないということ。自分はすごく上手いと思っても、上には上がいるものです。たとえ誰よりも上手かったとしても、怪我を負って誰からも必要とされなくなるかもしれません。私のケースがそうです。30歳で引退するなんて予想もしていませんでした」
クエンカは今、プロサッカー界から距離を置いた新たな人生を手にいれようとしている。自らの経験をほかの人々、とくに二人の娘たちに伝えたいと考えている。「人生は思うようにはいかないもの。何事も順応することが幸せへの近道だと思います。何かに執着すると、それが自分を苦しめることになるかもしれません」
クエンカは、「1年半早く引退を決めていれば、これほど苦しむことはなかったと思います。サッカーにしがみついて、いろいろなことをダメにしてしまいました。しかし、今は自分は生まれ変わったと感じています」 と明言している。この言葉は、目標を達成させるために努力することも重要だが、諦めることも大切だということを教えてくれる。
クエンカはプロ選手時代に株について学んでおり、それが不動産投資の経験につながったと語る。さらにスポーツ医学に焦点を当てた会社「Cold 2 Sport」を設立、実業家としての道を歩き始めている。
画像:Instagram de Isaac Cuenca (@cuencaisaac)
サッカー選手としてのクエンカはキャリアを通じて膝の怪我に苦しめられた。自分と同じように故障に苦しむアスリートたちに対し、状況を改善するために手を差し伸べたいと語っている。