元NFLシカゴ・ベアーズのレジェンド、ディック・バトカスが自宅で「安らかに死す」
米アメリカンフットボールのレジェンド、ディック・バトカスことリチャード・マーヴィン・バトカス氏が80歳で死去したことが、家族の公式声明で明らかにされた。
プロアメリカンフットボール選手としての8年におよぶキャリアのすべてをシカゴ・ベアーズで過ごし、名ラインバッカーとして人気を博したディック・バトカス。引退後は俳優およびスポーツ解説者として活躍の場を広げた。そして今月5日、カリフォルニア州マリブの自宅で睡眠中に静かに息を引き取ったという。
現地の報道によれば、午後1時前に救急隊員がマリブにあるディック・バトカスの自宅に赴き、その場で死亡が確認された。ニュースサイト「TMZ」は、見舞いに訪れた友人が、寝ているバトカスに反応がないことに気づいて救急に通報したとしている。
遺族は次のような声明でバトカスの死を明らかにした:「バトカス家は、アメリカンフットボールそしてエンターテイメントの世界で伝説的存在となったディックが、カリフォルニア州マリブの自宅で就寝中に穏やかな死を迎えたことをお伝えします。(中略)ディックの妻ヘレンをはじめ親戚一同は、皆さまからのお悔やみに感謝申し上げます。また情報があり次第、共有させていただきます」
バトカスは1942年にシカゴで生まれ、シカゴで育った生粋の地元っ子だ。シカゴ職業高校でアメリカンフットボールを始め、のちにイリノイ大学のスポーツ推薦枠を獲得。最終的に1965年のNFLドラフトで全体3位に指名され、シカゴ・ベアーズに入団した。
バトカスはたちまち頭角を現し、やはりシカゴ・ベアーズのラインバッカーで1974年にNFLの殿堂入りを果たしたビル・ジョージの背中を追うかのように成績を上げ、NFL年間最優秀守備選手賞を1969年、1970年に連続受賞。さらに1960年代、および1970年代の両方で、NFLリーグで最も活躍した選手が選出される「オールディケイドチーム」にも名を連ねた。
バトカスのNFLにおけるキャリアはシカゴ・ベアーズに在籍した1965年から1973年までの8年間と比較的短いが、こればケガにより引退を迫られたからに他ならない。NFL界での功績が認められ、バトカスは1979年にアメリカンフットボールの殿堂入りを果たした。
バトカスはシカゴ・ベアーズで名ラインバッカーとして主力選手のひとりに数えられていた。9シーズンにわたり1,020タックル、22インターセプト、27ファンブルリカバーという成績を収めており、その功績を讃えて1985年に、高校、大学、プロを通じて優れたラインバッカーに贈られる「バトカス賞」が創設された。
バトカス死去のニュースはシカゴ・ベアーズに深い悲しみをもたらした。クラブは声明を通じ追悼の意を表している:「ディック・バトカス氏はシカゴ・ベアーズの象徴であり、NFL史上最も偉大な選手の一人でもありました。シカゴのプレーヤーそのものであり、この偉大な街の価値観を具現化すると同時に(シカゴ・ベアーズの創設者)ジョージ・ハラスが選手に求めた、タフネス、インテリジェンス、直感、情熱、そしてリーダーシップを体現する人物でした」
さらに、「バトカス氏は一部の人にはあまり愛想なく映ったかもしれないが、彼には優しい面があり、自分自身とチームメイトに対しつねに最高のものを求めていました」とした。
アメリカンフットボールの他に、バトカスは俳優としても見事なキャリアを築きあげた。テレビや映画で活躍した彼の主な出演作には『グレムリン 2』『マトロック』『マクガイバー』『Buddy Daddies』『ブルー サンダー』(写真)などがある。バトカスの冥福を祈りたい。