勝利の代償? 選手との間に確執を生んだ監督たち
監督と選手たちの間に良好な関係を築くことは、チームスポーツで勝利するためには必要不可欠だ。しかし、プロスポーツという強いプレッシャーのかかる環境では意見が対立してしまうことも多い。さらには関係が破綻してしまったことも。その有名な例をチェックしてみよう。
ボビー・ナイトはアメリカのバスケットボール監督。大学チームの監督として活躍したが短気なことでも有名で、飴と鞭を激しく使い分ける指導スタイルは多くの選手と軋轢を生んできた。その激しい指導は言語的・身体的暴力に発展することすらあり、インディアナ大学で指導中にバージェス・ネイル・リード選手と衝突、首を絞めたとして解雇されている。
ビル・ベリチックはアメリカン・フットボールの監督としてアメリカNFL傘下のニューイングランド・ペイトリオッツを何度も優勝に導いた実績を持つ。だが同時に、プレーヤーに対する冷酷で上から目線の態度がしばしば批判にさらされてもきた。スポーツニュースサイトの「masslive.com」によればベリチックのそういった態度を不満に思う選手も多く、カシアス・マーシュやアダリウス・トーマス、レジー・ウェインなど、チームから追放されたり自ら去ることを選んだ有力選手もいたほどだった。ベリチックには他にもサイン盗み疑惑(いわゆる「スパイゲート」事件)などがあり、ファンやプレーヤーとの間の信頼関係はかなりぼろぼろだ。
サッカー監督としてのルイ・ファン・ハールは非常に厳しく権威主義的な指導スタイルを採っていた。そのため担当したチームでなんどか選手と衝突しており、有名な例にアヤックス・アムステルダム時代のイブラヒモビッチやマンチェスター・ユナイテッド時代のアンヘル・ディ・マリアがいる。
アイスホッケーの監督、マイケル・キーナンも激しくストレスをかける指導で知られており、スター選手を干したりゴールキーパーと衝突したりしていた。とくに有名なのはセントルイス・ブルース監督時代のブレット・ハルとの衝突で、ハルをキャプテンから降ろしたりしたことで確執が生まれ、1996年にキーナンが解任されるまでつづいた。
ダグ・コリンズはバスケットボールリーグのNBAで活躍した監督だが、シカゴ・ブルズ時代のマイケル・ジョーダンやフィラデルフィア・セブンティシクサーズ時代のアレン・アイバーソンなど何人かの選手とは微妙な関係だったことも知られている。ただ、当時物議をかもしたジョーダンとの不和はやがて解消され、ワシントン・ウィザーズ時代には良好な関係を築き上げた。
アメフト監督のマイク・ディトカはNFLでシカゴ・ベアーズを優勝に導いたが、傲慢な人格と激しい指導で選手と衝突しがちなことでも有名だ。なかでもクォーターバックのジム・マクマホンが言うことを聞かず、けがの治療に非伝統的な方法を用いた時の確執はよく知られている。
パット・ライリーはNBAの監督として輝かしい成績を残したが、選手に対する要求水準が高いうえに権威主義的なアプローチは反感も呼び、シャキール・オニールやマジック・ジョンソンなどのスター選手とも衝突していた。マイアミ・ヒート時代のオニールとの確執は特に深く、オニールがチームを離脱する結果となってしまった。
サッカー監督で現在スペインのセビージャFC監督を務めるホルヘ・サンパオリも強烈な指導スタイルで選手と衝突してきた。アルゼンチン代表チーム監督時代にはメッシとの間に不和が生じ、あのメッシが監督の戦術などに不満を表明するほどだった。
バスケットボール監督のラリー・ブラウンも選手に対する要求が高く、批判的な指導スタイルで緊張関係を築いてきた。有名なのはニューヨーク・ニックス時代のステフォン・マーブリーとの確執で、結局マーブリーのチーム離脱を招いてしまった。
エディー・ジョーンズはラグビー指導者。日本代表のヘッドコーチを務めたこともあり、2015年ラグビーワールドカップ南アフリカ戦での歴史的勝利をもたらした。そんな彼もまた厳しい指導スタイルで選手と衝突してきた監督の一人。イギリス代表監督時代のジョージ・フォードやベン・テオとの確執が有名で、テオは代表チームを離れるに至った。
サッカー監督のモウリーニョも性格が災いして選手との間に確執を生じており、有名なのはクリスティアーノ・ロナウドやポール・ポグバとのもの。マンチェスター・ユナイテッド監督時代のポグバとの関係は最悪で、ポグバ側もモウリーニョの戦術を公然と批判していた。
NFLで活躍したアメフトコーチ、ジム・ハーボーも強烈な性格や厳しい指導スタイルから選手との軋轢が絶えない監督。サンフランシスコ・フォーティナイナーズ時代のコリン・キャパニックとの確執はとくに有名だ。ちなみにきっかけは2016年にキャパニックが国歌斉唱時に人種差別への抗議の意思から起立を拒否したことだった。
グレッグ・ポポヴィッチはNBA歴代最多勝利数を獲得した屈指の名将だが、選手への要求も相応に高く時として軋轢を生んできた。有名なのはカワイ・レナードやラマーカス・オルドリッジとのもので、レナードとはけがの治療をめぐって衝突、サンアントニオ・スパーズからの離脱を招いた。
アメフトコーチのレックス・ライアンは豪快な性格で飴と鞭の差が大きいことで知られている。とくにニューヨーク・ジェッツ監督時代にはスター選手のダレル・リーヴィスと契約をめぐって激しく衝突した。
ケビン・マクヘイルは選手としてもすぐれた功績を残したが、監督としても優秀だった。だが選手と真っ向から向き合う姿勢は時として緊張をもたらした。有名なのはヒューストン・ロケッツ時代のドワイト・ハワードとの対立で、マクヘイルはハワードのだらしない態度が気に入らなかったようだ。
ニューヨーク・ヤンキースなどのチームの監督を歴任し、元西武ライオンズ監督の広岡達朗に影響を与えたことでも知られるビリー・マーチン。彼もまた性格や指導スタイルから選手と衝突しており、特にレジー・ジャクソンやデーブ・ウィンフィールドとの確執がよく知られている。ジャクソンとはヤンキース監督時代に衝突しており、ジャクソンが一時チームを離れることとなった。
サッカー界きっての名将と称えられるペップ・グアルディオラだが、プロ意識が高く選手に多くを要求するスタイルは軋轢を生むこともある。イブラヒモビッチやヤヤ・トゥーレとの不和が良く知られており、トゥーレはマンチェスター・シティ時代にグアルディオラと衝突、数か月チームを離れる事態を招いた。
有無を言わさぬ名選手のマラドーナだが、少しのあいだアルゼンチン代表監督を務めていた時期がある。だが自信満々に選手にぶつかっていくスタイルがフアン・セバスティアン・ベロンやリケルメといった選手との間に軋轢を生んだ。リケルメとの不和は二人がボカ・ジュニアーズでともにプレイしていた時代にまでさかのぼるらしく、2009年になってもなおメディア上で舌戦を交わしており、その数か月後のリケルメの代表チームからの離脱を招いた。
選手としての輝かしい経歴にかすみがちだが、バリー・ボンズはマイアミ・マーリンズで打撃コーチを務めていたことがある。だが、豪快で選手のことをオープンに批判しがちな性格が災いしてクリスチャン・イエリッチやマーセル・オズナなどの選手との間に軋轢を生んでしまった。