マラソンの前田穂南選手が日本記録を更新!パリ五輪の切符を獲得

前田穂南(まえだ ほなみ)選手
小学生時代
陸上を始めたのは中学生の時
駅伝は3年間補欠
実業団入り
引退の文字
2時間18分59秒
厚底シューズ
リオデジャネイロ五輪で初登場
高いクッション性と反発力
84.3%がナイキの厚底シューズを使用
厚底騒動
前田選手と厚底シューズ
厚底の恩恵
さらなる助っ人
パリ五輪代表に
「アレのアレ」
前田穂南(まえだ ほなみ)選手

このほど女子マラソンの前田穂南選手が19年ぶりに日本記録を更新し、パリ五輪の切符を手にした。ここに至るまでの道のりは決して平坦なものではなかった。今回はそんな前田選手の軌跡を追っていこう。

小学生時代

前田選手は1996年に兵庫県で生まれた。『神戸新聞』によれば、小学生の頃から「何でもできる子」で、水泳、バスケットボール、絵画、ピアノなどを習っていた。また、活発でいつも擦り傷だらけだったので、母親の口癖は「走ったらあかんよ」だったという。

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陸上を始めたのは中学生の時

「Olymics.com」によれば、本格的に陸上競技を始めたのは中学生の時。高校は駅伝の強豪校である大阪薫英女学院高校に進学し、3年生の時に1500メートルでインターハイ大阪府大会を制したという。

画像:Instagram, @0717honami

駅伝は3年間補欠

しかし駅伝は選手層が厚かったため3年間を補欠で過ごした。当時の陸上部監督は補欠でも真面目に頑張る前田選手を「練習が終わった後もずっと走っていた」と振り返っている。大阪薫英女学院高校のサイトが伝えた。

実業団入り

高校卒業後は練習が厳しいことで有名な実業団の天満屋に入った。そこで本格的にマラソンに専念すると才能が開花。ついには東京五輪代表の座を手にした。

引退の文字

しかし、東京五輪では33位に沈んでしまう。度重なる怪我にも悩まされた。さらには当時マラソン界で主流となっていた厚底シューズに上手く適応することができず、引退を口にすることもあったと『朝日新聞』が報じている。

2時間18分59秒

しかし、東京五輪で味わった悔しさから引退を思いとどまり、2021年に大阪国際女子マラソンで金字塔をうちたてた。順位は2位だったが、19年前に野口みずき選手がマークした日本記録を13秒上回る2時間18分59秒を叩き出したのだ。

厚底シューズ

前田選手の日本新記録達成には、強力な助っ人の後押しがあった。東京五輪の時には適応できなかった厚底シューズだ。

画像:Instagram, @0717honami

リオデジャネイロ五輪で初登場

『産経新聞』によれば、厚底シューズが世界で初めて使用されたのは、2016年のリオデジャネイロ五輪の時。ケニアのエリウド・キプチョゲ選手がナイキ社の厚底シューズを履いて金メダルを獲得したことで大きな話題となったという。

画像:Instagram, @0717honami

高いクッション性と反発力

同紙によれば、この厚底シューズにはカーボンプレートが内臓され、高いクッション性と反発力を売りにしている。そのため疲労感が大幅に軽減され、前への推進力が生まれるので早く走れるようになるという。

84.3%がナイキの厚底シューズを使用

2020年の箱根駅伝では出場者210人のうち84.3%にあたる177人がナイキの厚底シューズを使用していた。そして、7区間で計13人(厚底シューズを履いていたのは12人)が区間新記録をだす史上最速のレースになったと『スポーツ報知』紙が報じている。

厚底騒動

ところが、箱根駅伝に限らず、この厚底シューズによる好タイムが世界中で続出。これを受け、世界陸連が厚底シューズを禁止するとの報道がでると、関係者たちの間で大騒動となる。しかしマラソンでの禁止は見送りとなり、条件付きで容認されることとなった。

画像:Instagram, @0717honami

前田選手と厚底シューズ

前田選手が厚底シューズの感覚をつかめるようになったのはつい最近のことで、2021年の世界大会までは薄底を使用していた。足の指をしっかり使い地面を掻くように走る癖があったため、足指を使わなくても走ることができる厚底を履きならすのに苦労したと、『Number』誌が伝えている。

画像:Instagram, @0717honami

 

厚底の恩恵

『デイリースポーツ』紙によれば、厚底を履いた当初は「走りにくくて、靴を脱いで走りたいぐらい合わなかった」が、慣れるにつれ余計な力を使う場面が減ったとのこと。また、「薄底の時は筋肉痛がひどくて終わった後も痛かった。厚底になってからそういうことはない」という。

さらなる助っ人

日本新記録を出したレースには、厚底シューズの他にも強力な助っ人がいた。『デイリースポーツ』紙によれば、粘りどころとなる30km付近で、前田選手と同じピンク色のジャンパーを着た男性が声を張り上げながら沿道を懸命に並走。居ても立っても居られなくなった前田選手の父親が応援に駆け付けたのだ。

パリ五輪代表に

前田選手がマークした2時間18分59秒を、最後の代表選考をかねた大会で誰も上回ることができなかったため、前田選手は2大会連続での五輪代表の座を射止めた。

「アレのアレ」

『中日スポーツ』紙によれば、生粋の阪神ファンである前田選手は、岡田監督が優勝を「アレ」と呼んだのにちなんで日本新記録を打ち立てるという目標を「アレを狙う」と表現していた。そしてパリ五輪の目標は「アレのアレ」だという。きっと、この夏の大舞台で「アレのアレ」を達成してくれるに違いない。

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