喜びだけではないオリンピック:アスリートたちの衝撃的瞬間を振り返る
オリンピックは多くのアスリートにとって喜びだけではなく、悲しみや苦しみを経験する瞬間でもある。過去のオリンピックで起こった衝撃的な瞬間について振り返ろう。
20世紀を象徴するアスリートの1人であるモハメド・アリは、最強のボクシング選手としてだけでなく、そのカリスマ性でも人々を魅了してきた。
そのモハメド・アリは1996年のアトランタオリンピックで、重度のパーキンソン病の影響を受けながらも聖火台に点火する大役を担った。その姿に世界中が衝撃を受けた。
ドイツの重量挙げ選手マティアス・シュタイナーは、交通事故で妻を亡くした翌年、北京オリンピックで自身初となるオリンピック金メダルを獲得した。
金メダルを獲得するためには、最後のリフトで自己ベストを10kgも上回る必要があった。見事に自己ベストを更新したその瞬間、シュタイナーは感極まって涙を流し、床に倒れ込んだ。優勝したシュタイナーは、亡き妻の写真をメダルとともに掲げ、表彰台の頂点に立った。
1992年バルセロナオリンピック400メートル準決勝。イギリスの短距離走選手デレク・レドモンドは、レースの途中でハムストリングを断裂し、トラックに倒れこんでしまう。
デレクはレースを完走するために運ばれてきた担架に載ることを拒否し、父のジムが彼を支え、世界中の観客が見守る中、ゴールラインを越えることが出来た。
英国のマラソン選手、ポーラ・ラドクリフは史上最高の女子マラソン選手の1人であり、2004年のアテネオリンピックでは、だれもが認める金メダル候補だった。
しかし、残り約5kmの地点で、ラドクリフは脚の負傷により棄権を余儀なくされてしまった。競技を続けることができず、涙を流しながら縁石に座り込むラドクリフの姿は、オリンピック史上最も悲劇的な光景の一つである。
重量挙げのヤノシュ・バラニャイは、2008年の北京オリンピックで、148kgのバーベルを頭上まで持ち上げようとした結果、肘を脱臼するという悲劇を味わった。
148kgの負荷が体にかかり、悲痛な叫び声がアリーナ中に響き渡った。幸いなことに、ヤノシュ・バラニャイはその後競技に復帰することが出来た。
中国の人気ハードル走選手である劉翔は、2004年のアテネオリンピックで金メダルを獲得。母国で開催された2008年北京オリンピックの110メートルハードルでは金メダル最有力候補だった。
しかし、劉翔はアキレス腱の負傷のため棄権を余儀なくされてしまう。この怪我は劉翔のオリンピックでの夢を打ち砕いただけでなく、中国の13億人の国民を落胆させることになっただろう。
今回のパリオリンピックでも、アスリートたちの活躍が、多くの感動や興奮を与えてくれることだろう。これからも連日の競技から眼が離せない。