英国サッカー界きってのあばれん坊:ヴィニー・ジョーンズの英雄譚
1988年、ヴィニー・ジョーンズ23歳のとき、そのサッカー選手としての知名度は一気に高まった。所属するウィンブルドンFCがニューカッスル・ユナイテッドFCとの対戦で、ヴィニー・ジョーンズは相手選手ポール・ガスコインの局部を握りしめたのである。
ポール・ガスコインのひきつった顔を見れば、ヴィニー・ジョーンズがその大事な部分をひしと握りしめていることは疑い得ない。当時からヴィニー・ジョーンズにはタフでアグレッシヴという評判があったが、本人もそのイメージに乗っかり、波乱含みのキャリアを通じてそのプレースタイルをますます荒っぽくしていった。
ヴィニー・ジョーンズはイングランドのハートフォードシャー州ワトフォードで生まれた。彼にはアイルランド系やウェールズ系の血が流れ込んでおり、のちにウェールズ代表でもプレーしている。
生まれつきの気質かどうかはさておき、ヴィニー・ジョーンズはプレミアリーグの歴史において、反則の多いダーティーなプレーで名を馳せた選手だった。それでいて彼ほど愛された選手も少なかった。
たしかにヴィニー・ジョーンズのプレーはお世辞にも上品とは言えなかったが、正直ではあった。どこにもコソコソとしたところはなく、もし試合中にムシャクシャしたら、ポール・ガスコインにしてみせたように、その心持ちを包み隠さず相手に伝えた。
ポール・ガスコインが語る:「(ヴィニー・ジョーンズは)僕のほうにやってきて、こう言ったんだ:『おれはヴィニー・ジョーンズ。おれはロマだ。しこたま金を稼いでる。おまえの耳を噛みちぎって芝生にぺっと吐き出してやる。誰も助けちゃくんねえぞ、太っちょ」
ジョン・リチャードソン著のノンフィクション『Our Gazza: The Untold Tales』で、ポール・ガスコイン本人がこの罵り文句を紹介している。耳は無事だったが、かわりに股間を握り締められた。ヴィニー・ジョーンズはいきなり要所をついたわけだ。
試合のまた別場面、ヴィニー・ジョーンズはふたたびガスコインに釘を刺す:「コーナーキックを蹴ったらすぐ戻ってくるからな、太っちょ」
80、90年代のウィンブルドンFCは「クレイジー・ギャング」の愛称で呼ばれていた。ギャングのいわば顔役だったのがヴィニー・ジョーンズで、デニス・ワイズ、ローリー・カニンガム、デイヴ・ビーサンといった血の気の多い選手たちがロッカールームとクレイジー体質を分かち合っていたのだ。
「クレイジー・ギャング」時代のウィンブルドンFCが一種のカルト的な人気を誇っていたとするならば、1988年のFAカップ決勝でチームがリヴァプールFCを破ったことは、その伝説をさらに高める結果となった。
同じFAカップの準決勝戦で、試合終了直後にヴィニー・ジョーンズはチームメイトのアンディ・ソーンと一緒にタバコをふかす仕草をして勝利を祝っている。さぞピッチの外で吸いつけていそうな仕草だった。
さて、芝生の上ではヴィニー・ジョーンズのショーが幕を開ける。この選手はプレーがラフなだけでなく、心理的な攻撃においても相手の弱みに容赦なくつけこむ。
「たとえば誰かが奥さんに出て行かれたとすると、俺はそのことをピッチの上でしっかり思い出させてやるんだ」と、ヴィニー・ジョーンズは自叙伝『Vinnie: The Autobiography』で明かしている。
この「焚き付け」が功を奏さない場合、あとは行動あるのみだった。「一番好きなのは、ライバルが怪我をするときに骨がぽきっと鳴るあの小気味いい音だね」とヴィニー・ジョーンズは悪びれることなく言う。
ヴィニー・ジョーンズは不名誉にも(と言っていいだろう)、プレミアリーグにおいて史上2位のレッドカード獲得数を誇っている。退場回数は12回。ちなみに1位はアイルランド出身のロイ・キーンだ。
チェルシーFCに所属していた頃、ピッチに入ってから3秒後にイエローカードをもらったこともあった。シェフィールド・ユナイテッドFCのフォワード、デイン・ホワイトハウスへの危険なタックルを咎められたのだ。
出る試合出る試合を派手な果たし合いの場所にかえてしまうものだから、当然彼もただではすまず、キャリアを終えるころには試合で受けた傷による縫合のあとが100箇所にものぼるほどだった。
しかしそこはヴィニー・ジョーンズ、芝生の上では恐れるものは何もなかった。1995年、ウィンブルドンFCとニューカッスル・ユナイテッドFCの試合で彼はゴールキーパーをつとめなければならず、30分間で3ゴールを決められる。チームは1-6のスコアで敗れたのだが、しかし守護神としてのその奮迅の活躍は、いまもファンのまぶたに焼き付いている。
その3年前の1992年、ヴィニー・ジョーンズは『Soccer’s Hard Men』というビデオを作り、自身もそこに出演する。ビデオにはイングランドのサッカー選手たちの獰猛なプレーが集められており、かなりの批判の声が上がった。
当時ヴィニー・ジョーンズが所属するウィンブルドンFCの会長をつとめていたサム・ハーマンは彼のことを「蚊ほどの脳みそもない奴」とこき下ろし、そのあだ名は定着した。
1998年から1999年にかけてのシーズンはヴィニー・ジョーンズにとってサッカー人生最後のシーズンとなった。最後はクイーンズ・パーク・レンジャーズFCの選手としてプレーし、34歳で引退した。
その同じ年、映画監督ガイ・リッチーが『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(1998年)でヴィニー・ジョーンズを俳優として起用し、彼はビッグ・クリス役を演じた。
その役で映画デビューを果たしたヴィニー・ジョーンズはそのまま俳優業につきすすみ、映画とテレビとでバランスよく成功を積み重ねている。サッカー選手時代のヴィニー・ジョーンズは手に負えない悪党という不動のポジションからあたりに睨みをきかせていたが、そのころの屈強な肉体に勝るとも劣らないマッチョさを商売道具に、俳優になってからのヴィニー・ジョーンズも芝生が舞台だったころと同じポジションで押し通すことができた。
不思議なことに、サイコパスにもなぞらえられる悪名高さにもかかわらず、サッカーを辞める前のヴィニー・ジョーンズもサッカーを辞めた後のヴィニー・ジョーンズもどちらも万人に愛されている。カリスマというか、憎めないキャラクターなのだろう。
2010年、ヴィニー・ジョーンズは英国の有名人リアリティ番組『Celebrity Big Brother』に出演し、(視聴者が投票して脱落者を決めていく形式で)第3位になった。ちなみに優勝は総合格闘家のアレックス・リード、2位は歌手のデイン・バウワーズだった。
現在まで、ヴィニー・ジョーンズは映画とテレビを合わせて100タイトルを超える作品に出演してきた。カリスマそのものが服を着て歩いたら、きっと彼のような存在になるのだろう。