挫折、転職、養成所を経てついに五輪代表に!自転車競技の期待の新星、太田海也選手
自転車競技界に彗星のごとく現れた太田選手の快進撃が止まらない。今回は、本格的な競技歴がわずか2年余りで国際大会を制し、圧倒的な強さでパリ五輪の金メダル候補になった太田選手の軌跡を追って行こう。
太田選手は1999年7月27日に岡山県で生まれた。『Sportiva』誌によれば、最初は体操教室、小学校に入学するとレスリングとラグビー、中学ではサッカー部に所属した。幼少の頃から「自分は身体能力が高いんだろうな」と感じていたという。
『日刊スポーツ』紙によれば、高校には自転車部がなかったのでボート部に入った。ボート競技で使用する筋肉が自転車のものと近いように思えたからだという。2017年の全国高等学校総合体育大会を制し、ボートの強豪大学である日本大学に進学した。
画像:Instagram, @kaiya_727
テレビ朝日『報道ステーション』によれば、東京五輪を目指し日本大学に入るも、ボート競技のレベルの高さを痛感し7か月で挫折。大学を中退し、地元に戻るが申し訳なさもあって実家には顔を出せず一人暮らし。唯一連絡を取った友人から紹介してもらった家の内装の日雇い仕事をしながら、「こんなはずじゃないのにな」と自分が輝ける場所を探していたという。
さらに太田選手は「日雇いの仕事は、日々現場が変わるので。県内なら自転車でどこでも行けるぞ」と思い立ち自転車購入を決意。サイクルショップにあった一番高い130万円の自転車に一目ぼれし「買わないとダメじゃん」と思ったという。
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この高額な自転車に出会ったサイクルショップの店長と意気投合し、店で働くことになった。そして、この店長のすすめでロードレースに出場すると見事優勝。これをきっかけに自転車競技を本格的に始めることになったと「NHKニュース」が報じた。
『Sportiva』誌によれば、自転車を本格的に始めてから1年余りが経った頃、太田選手はプロの競輪選手を目指し養成所に入ることにした。難関の日本自転車養成所に合格すると、わずか1か月で才能を高く評価され「早期卒業候補生」の資格を得る。養成所で最後まで学ぶべきかなという思いもあったが、「これも挑戦だ」と覚悟を決め、早期卒業したという。
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「報道ステーション」によれば、養成所での飛び抜けた成績が噂となり、自転車競技の日本代表を率いるコーチ達の目に留まった。こうして、2021年に養成所に入所してから8ヵ月という異例の早さで太田選手の日本代表入りが決まったという。
2023年、太田選手は杭州アジア大会の自転車トラック男子スプリントで金メダルを獲得。さらにチームスプリントでも優勝し2冠を達成した。
2024年も太田選手の勢いは止まらない。ネーションズカップ第1戦の男子スプリントで金メダルを獲得し、チームスプリントで銀、ケイリンで銅を獲得。この大会で出場した全種目でメダルを手にした。
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勝利者インタビューで太田選手は「かめはめ波」パフォーマンスを披露する。この夏に開催されるパリ五輪でも、複数の「かめはめ派」が炸裂するに違いない。