日本の競歩史上まれにみる激戦となったパリ代表選考会を制した池田向希選手

池田向希(いけだ こうき)選手
競歩の強豪、東洋大に進学
マネジャー作業をこなしながらの練習
晴れてマネジャー兼務から卒業
東京五輪の代表に
山西利和(やまにし としかず)選手
「どんな時でも仕掛けることができる選手」
東京五輪の銀メダル
ハトコのみちょぱ
世界陸上でワンツーフィニッシュ
審判員の強化
正確な競歩のフォーム作り
まさかの15位
「世界で最も熾烈な代表争い」
パリ五輪への切符を獲得
東京五輪以上のメダル
池田向希(いけだ こうき)選手

東京五輪の20km競歩で銀メダルを獲得した池田尚希選手が「世界で最も熾烈な代表争い」と大会主催者が銘打ったほどの厳しい代表選考会を制してパリ五輪代表の座を手にした。今回はそのいきさつをおっていこう。

競歩の強豪、東洋大に進学

「Olympics.com」によれば、池田選手は中学から長距離走を始め、高校で競歩に転向した。競歩の強豪である東洋大学に進学したかったが実績がなく、しかし諦めることもできず他選手の勧誘に訪れていた東洋大の監督に直談判。最終的に池田選手の熱意におされた形でマネジャー兼務での入部が許可されたという。

マネジャー作業をこなしながらの練習

『東京新聞』によれば、当初、池田選手は給水ボトルの洗浄やタイムキーパーなどのマネジャー作業をこなしながら練習に励んでいたという。徐々に力をつけていき、2年生の時に世界競歩チーム選手権に出場を果たし個人部門で優勝した。

晴れてマネジャー兼務から卒業

同紙によれば、大会後に大学に戻るといつも通りマネジャー室で掃除をしていた池田選手。コーチが「世界一になったんだから、もうマネジャーはいいんじゃない」と声をかけると「えっ、本当にいいんですか?」と喜んだという。

東京五輪の代表に

こうして池田選手は競技に専念できるようになり、本格的に東京五輪を目指すことになった。そして2020年、代表選考会を兼ねた全日本能美大会20km競歩で優勝を飾り、東京五輪代表の座を手にした。

山西利和(やまにし としかず)選手

だが、当初東京五輪の20km競歩で最も注目されていたのは山西利和選手だ。2019年の世界陸上競技選手権大会を制し、世界ランキング1位に輝いていたのだ。

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「どんな時でも仕掛けることができる選手」

池田選手は山西選手について「どんな時でも仕掛けることができる選手。マークしなくてはいけないなという意味でずっと意識はしていた」としている。「NHKニュース」が報じた。

東京五輪の銀メダル

そして迎えた東京五輪の本番で、池田選手は猛暑の中、先に仕掛けた山西選手をびったりとマークしながら終盤で引き離した。池田選手は日本競歩史上最高位の銀メダルを手にし、山西選手も銅メダルを獲得した。

ハトコのみちょぱ

この銀メダルはひょんなところでも話題になった。というのも池田選手の親戚にあたるモデルの「みちょぱ」が、SNSを通じてハトコの快挙を祝福したのだ:「軽はずみにハトコですって言っちゃったから、みちょぱって名前が色んなところについて申し訳なく感じてたけど、こんなんもう喜びしかないでしょ!!!許して!!凄すぎる!よ!」

画像:Instagram, @michopa1030

 

世界陸上でワンツーフィニッシュ

コロナ渦により、通常奇数年に開催される世界陸上競技選手権大会が2022年に開催された。池田選手は東京五輪に続き、同大会でも銀メダルを獲得。この大会を制したのは山西選手で、2019年に続き2大会連続での金メダルとなった。

審判員の強化

『日刊スポーツ』紙によれば、日本が競歩強豪国となった理由のひとつに審判員の強化があげられる。かつては国内基準が甘かったため、日本では違反とならなくても国際大会では失格となってしまっていた。厳しい審判の目を育て、それをクリアする正確なフォームを得たことで日本の選手たちが世界で戦えるようになったという。

正確な競歩のフォーム作り

『スポーツ報知』紙によれば、池田選手のコーチは「スピードが上がっても体が浮かないよう体幹を鍛え、大きな筋肉を使ってきちんと競歩の基本の動きができる取り組みをした」とコメント。池田選手も「ペースが速くなろうが遅くなろうが、変わらない歩型を作り上げてきた」と自信をのぞかせたという。

まさかの15位

しかし、2023年の世界陸上競技選手権大会で、池田選手は金メダルを山西選手は3連覇を狙っていたがまさかの結果に終わってしまう。池田選手は15位、山西選手も24位に沈み、表彰台どころか入賞すらできなかった。

「世界で最も熾烈な代表争い」

2024年2月、パリ五輪代表選考会を兼ねた日本陸上競技選手権が開催された。この大会は「世界で最も熾烈な代表争い」と称された。20km競歩の種目で池田選手や山西選手の他に、日本選手権を6回制した髙橋英輝選手や世界選手権35km競歩で2大会連続してメダルを獲得した川野将虎(かわの まさとら)選手が参戦したからだ。

パリ五輪への切符を獲得

この激戦を制したのが池田選手だ。世界歴代3位、世界記録に15秒までせまる1時間16分51秒の大会新記録で、見事パリ五輪代表の座を手にした。

東京五輪以上のメダル

「NHKニュース」によれば、池田選手は「最大の目標はオリンピックの金メダルだが、あまり自分にプレッシャーをかけずにいきたい」と語ったという。東京五輪の銀を超えるメダルを、本人だけでなく日本中が期待している。

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