日韓W杯で大活躍、ブラジル代表リバウドの歩み

ブラジル代表リバウド
厳しい幼少時代
父の死
モジミリンECに所属
SCコリンチャンス・パウリスタに移籍
初めての栄冠
ヨーロッパに乗り込む
FCバルセロナに移籍
バルサのスーパースターに
バロンドールに選ばれる
通算130ゴール
ACミランに移籍
ブラジルに戻る
ギリシャへ
リーグ3連覇に貢献
AEKアテネFCに移籍
ウズベキスタン、アンゴラ、ブラジル
現役引退と復帰
ブラジル代表としての活躍
2002年日韓W杯
代表チーム通算35ゴール
モジミリンEC会長に就任
ルーマニアのクラブの株主に
サッカー振興にいそしむ
ブラジル代表リバウド

ブラジルはこれまで優れたサッカー選手を数多く生み出してきたが、リバウドもまたその一人である。とりわけFCバルセロナでの活躍によって記憶されている現役時代と、引退後の歩みを振り返ってみよう。

厳しい幼少時代

リバウドはブラジル北東部、南大西洋岸の町レシフェの出身。1972年4月19日に生まれ、経済的にきわめて困窮した幼少時代を送った。

父の死

ティーンエイジャーだったときに、父を自動車事故で亡くすという悲劇を経験している。

モジミリンECに所属

そのような逆境にもかかわらず、リバウドはプロサッカー選手になる夢を実現させ、まずはパウスタリーノFCでプレーすると次にサンタクルスFCと契約し、その一年後にモジミリンECに移籍した。

SCコリンチャンス・パウリスタに移籍

それから間もなく、リバウドはブラジル国内のビッグクラブの注目を集めることになった。1993年にSCコリンチャンス・パウリスタに移籍し、1994年にはSEパルメイラスに移る。

初めての栄冠

SEパルメイラスに在籍していたとき、リバウドは初めてトロフィーを獲得する。1994年のカンピオナート・ブラジレイロ(ブラジルの全国選手権)で優勝し、1996年にはカンピオナート・パウリスタ(サンパウロ州の選手権)を制したのだ。

ヨーロッパに乗り込む

リバウドが初めてヨーロッパに乗り込んだのは、1996年のことだった。スペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャと契約を結んだのだ。デポルティーボでは1シーズンしかプレーしなかったが、サッカー情報サイト「Transfermarket」によるとリバウドは22ゴールを挙げており、チームのリーグ3位フィニッシュに大きく貢献した。

FCバルセロナに移籍

デポルティーボ・ラ・コルーニャでプレーするリバウドに目をつけたのが、FCバルセロナだった。2,350万ユーロを提示し、1997年に彼をチームに迎え入れる。

バルサのスーパースターに

リバウドの才能はFCバルセロナで完全に花開いた。最初のシーズンから上々のスタートを切り、ラ・リーガでは19ゴールを挙げてFCバルセロナの優勝に大きく貢献、同年にチームはコパ・デル・レイでも優勝を果たし、二冠を達成したのだ。また、次の1998-99シーズンでもチームのリーグ連覇に貢献した。

バロンドールに選ばれる

この時期のリバウドは、世界最高峰のサッカー選手の一人だったといえる。その活躍は高い評価を受け、1999シーズンにはバロンドールとFIFA最優秀選手賞を受け取っている。

通算130ゴール

リバウドはFCバルセロナで通算130ゴールを挙げた。2001年のバレンシアCF戦で達成した『キャプテン翼』ばりのハットトリックもそこには含まれている。

ACミランに移籍

2002年、リバウドは5年間プレーしたFCバルセロナを去り、ACミランで新たな冒険に乗り出した。

ブラジルに戻る

ACミランではあまり出場機会に恵まれなかった。それでも最初のシーズンで、UEFAチャンピオンズリーグとコッパ・イタリアの優勝を経験している。リバウドは2003年にACミランを退団し、ブラジルに戻ってクルゼイロECでプレーし始める。

ギリシャへ

ブラジルで短い期間プレーした後、2004年にリバウドはギリシャのクラブ、オリンピアコスFCに移籍する。

リーグ3連覇に貢献

リバウドはギリシャの地で息を吹き返すような活躍を見せ、通算43ゴールを挙げてチームのリーグ3連覇に貢献した。

AEKアテネFCに移籍

2007年、リバウドはオリンピアコスFCのライバルであるAEKアテネFCと契約を結ぶ。しかしこのチームではトロフィーを獲得できなかった。

ウズベキスタン、アンゴラ、ブラジル

リバウドはその後、ウズベキスタンのFCブニョドコル、ブラジルのいくつかのクラブ、アンゴラのカブスコルプSCP(Kabuscorp S.C.P.)に所属し、さらに多くのトロフィーを獲得した。

現役引退と復帰

2014年に現役引退を発表したリバウドは、その頃低迷していたブラジルの古巣モジミリンECを救うために現役復帰を宣言、息子のリバウジーニョと揃って出場し、親子ともども得点を挙げた。

ブラジル代表としての活躍

現役時代のリバウドは、ブラジル代表にとって不可欠な選手でもあった。

2002年日韓W杯

ブラジル代表ではいくつかのトロフィーを獲得したが、とりわけ2002年日韓ワールドカップにおける、ロナウド、ロナウジーニョ、ロベルト・カルロスらと並んでの活躍が印象的だ。この大会の後日譚としては、トルコ戦におけるリバウドのある行為がのちに悪質なシミュレーション(ファールされたふりをすること)と判断され、FIFAから罰金を科されるということがあった。

代表チーム通算35ゴール

ブラジル代表としては、76試合に出場し、通算35ゴールを挙げた。

モジミリンEC会長に就任

サッカー情報サイト「Transfermarkt」によると、リバウドは2008年にモジミリンECの会長となり、2015年間までその地位にあったという。のちに、同クラブ経営会議の顧問にもなっている。2014年、リバウドはモジリミンECを売却することに決め、投資家を募った。

ルーマニアのクラブの株主に

2023年、リバウドはルーマニアのサッカークラブ「FCファルル・コンスタンツァ」の株主になって関係者たちを驚かせた。

サッカー振興にいそしむ

リバウドは現在、サッカー賭博などを組織している「BetFair」などいくつかの企業でアンバサダーをつとめており、サッカー振興に忙しい日々を送っている。

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