自宅に放火して有望なキャリアを棒に振ったしまったサッカー選手、ブレーノ・ロドリゲス・ボルジェス
多くの分野と同じくサッカー界でも大成功を収めたスター選手ばかりが注目されがちだが、その陰で波乱に見舞われたり、ひょんなことでキャリアを棒に振ってしまった選手たちも少なくない。
そこで、今回は順風満帆だったキャリアを自ら台無しにしてしまったブレーノ、ことブレーノ・ヴィニシウス・ロドリゲス・ボルジェスにスポットライトを当てよう。ブレーノの故郷はサンパウロ州クルゼイロだ。
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地元の有力クラブ、サンパウロFCのユースアカデミーでスキルを磨いたブレーノは、2007年に同クラブとプロ契約を締結。
若きブレーノのデビュー戦はサンパウロダービーにおける、SEパルメイラとの試合だった。
2007年のカンピオナート・ブラジレイロではサンパウロFCの優勝に貢献。最優秀ディフェンダーに選ばれるなど、若き才能の登場をサッカー界に印象付けた。
そんな新星を欧州サッカー界が放っておくはずはない。複数の有力クラブがブレーノの獲得に乗り出し、2007年12月にはFCバイエルン・ミュンヘンがブレーノを射止めることとなった。
サッカー専門サイト「Transfermarkt」によれば、そのときの契約金は1200万ユーロ(およそ19億円)で、2012年半ばまでという契約内容だったとのこと。
FCバイエルン・ミュンヘンに移籍したブレーノは、UEFAヨーロッパリーグのRSCアンデルレヒト戦で欧州デビューを果たす。ただし、チームは1-2で敗れている。
初シーズンはベンチにいることが多かったブレーノだが、FCバイエルン・ミュンヘンの一員としてブンデスリーガおよびDFBポカールの両方で優勝杯を手にした。
2008年、ブレーノはブラジル代表として北京五輪に出場、銅メダルを獲得した。期待の若手として素晴らしいスタートを切ったブレーノに不可能の文字はない、と思えるほど万事順調だったのだが……
ところが、2008-2009シーズンのFCバイエルン・ミュンヘンにはいつもの勢いがなかったばかりか、ブレーノは全公式戦のうちわずか9試合しか出場できなかったのだ。
しかも、2010年1月にはFCバイエルン・ミュンヘンがブレーノを1.FCニュルンベルクに半年間レンタルするという決定を下す。
とはいえ、1.FCニュルンベルクでは幸先のよいスタートを切り、3月に負傷するまで7試合に出場することができた。
ところが、バイエル・レバークーゼンとの一戦で膝前十字靱帯を損傷。2009-2010シーズンの残り試合と次シーズンの大部分を欠場することになってしまう。
続く2010-2011シーズン、ブレーノはFCバイエルン・ミュンヘンに帰還し18試合に出場。
2011年9月、ブレーノは各紙の見出しを飾ることとなる。しかし、それはサッカーにおける活躍についてではなく、自宅に火をつけ全焼させるという「悪質な放火の容疑者」としてだった。
当時、地元紙『ミュンヘナー・メルクーア』が伝えたところによると、所属クラブのFCバイエルン・ミュンヘンは事件前からブレーノに心のケアを受けるよう勧めていたとされる。
2011年10月には保釈されたものの、結局放火の罪で起訴され、2012年7月に懲役3年9ヵ月の実刑判決を受けることに。
2013年8月に刑期を終えたブレーノは、FCバイエルン・ミュンヘンのU-23チームでアシスタントマネージャーとして新たなスタートを切る。
そして2014年12月には、サンパウロFCで現役復帰を果たすこととなった。
2017年5月、ブレーノはCRヴァスコ・ダ・ガマとレンタル契約を結び、2018年には同クラブに完全移籍。
CRヴァスコ・ダ・ガマでは3シーズンにわたってプレーしたものの周囲の期待に応えることはできず、2021年についに退団が決まった。
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