パリ五輪でタヒチの海に挑む人気サーフィン選手、松田詩野選手(21)
かつて「高校生サーファー」として話題を集めていた松田詩野選手。東京五輪出場を逃すも、その悔しさをバネに全競技を通じてパリ五輪代表の内定第1号になった。今回は、そんな松田選手をおっていこう。
松田選手は2002年に神奈川県茅ケ崎市で生まれた。『日刊スポーツ』紙によれば、サーフィンを始めたのは6歳の時。両親にすすめられて地元のサーフィンスクールに入ると、その日のうちに波を乗りこなし周囲を驚かせたという。
中学2年生の時にプロに転向した松田選手。2018年の世界ジュニア選手権16歳以下の部で銀メダル、2019年のジャパンオープンでは初代女王の座に輝いている。世界中のプロツアーに参戦していたため、中学生時代のあだ名は「世界の松田」だったという。『デイリースポーツ』紙が伝えた。
東京五輪を前に松田選手は「女子高生サーファー」として大きな注目を集めていた。母国開催の五輪で日本代表が確実視されており、さらにはサーフィンが五輪初採用の競技でもあったからだ。
松田選手は着せ替え人形の「バービー」にもなった。『朝日新聞』によれば、発売元のマテル社が女性たちに「何にだってなれる」とのメッセージを伝えるために、世界の様々な分野で活躍する女性をモデルにバービー人形を製作。松田選手は日本では黒柳徹子さん、テニスの大阪なおみ選手に続く、3人目のバービー人形のモデルになったという。
画像:Instagram, @shinomatsuda
しかし、コロナ渦により五輪が延期。最終選考となった2021年のワールドゲームズで、プレッシャーが焦りへとつながり松田選手は上手く波に乗ることができなかった。最終的にライバルの前田マヒナ選手と都築有夢路(つづき あむろ)選手に逆転され、東京五輪出場を逃してしまう。『Number』誌が伝えた。
そんな悔しさをバネに、松田選手は筋力トレーニングやランニングでパワーアップをはかる。そして2023年、パリ予選を兼ねたワールドゲームズに参戦。会場となったのは東京五輪を逃した時と同じ、因縁のエルサルバドルだ。「今度こそ、つかみ取る」、強い気持ちで挑んだ。『テレ朝ニュース』が報じた。
画像:Instagram, @shinomatsuda
その結果、松田選手は自己最高の13位を記録し、アジア勢ではトップとなった。これをうけ、パリ五輪の全32競技を通じて、日本代表の内定第1号となる。
パリ五輪の会場となるのは、フランス本土ではなく南太平洋に浮かぶフランス領ポリネシア、タヒチ島のチョープー。サーフィンの聖地で、世界最大級のチューブ型の波ができることで有名だ。
内定第1号の松田選手には、準備期間がたっぷりとある。実際、すでに何度もタヒチを訪れ、チョープーの大波と格闘しているという。美人サーファーとして人気のある松田選手がパリ五輪で活躍すれば、日本にサーフィンブームがやってくるにちがいない。
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