柔道の角田夏美選手がパリ五輪で日本勢初の金メダルを獲得!
柔道女子48kg級の角田夏実選手(31)が、パリ五輪で日本勢第1号となる金メダルを獲得した。夏季五輪における日本勢500個目のメダルとなる。今回は、角田選手が金メダルを手にするまでの道のりを追っていこう。
27日、角田選手は女子48kg級の準決勝でスウェーデンのタラ・バブルファス選手(18歳)、決勝では今年の世界選手権を制したモンゴルのバアサンキュー・バブドルジ選手(24歳)を破って優勝した。女子柔道48kg級の金メダルは、谷亮子選手のアテネ大会(2004年)以来、なんと20年ぶりとなる。
角田選手が金メダルを手にするまでの道のりは、決して容易いものではなかった。紆余曲折を経て、日本柔道史上最年長となる31歳で五輪デビューを果たし、見事に金メダルを獲得したのだ。
角田選手は世界選手権を3連覇している。しかも、この3大会の計15試合を全て1本勝ちする圧倒的な強さをみせ、パリ五輪では金メダルの最有力候補となっていた。ところが今年に入るとケガに悩まされ続け大きく減速。それでもケガの影響を全く感じさせない戦いぶりでパリ五輪を制した。
角田選手の強さの秘密はそのきわめてユニークな得意技にある。相手の下にもぐり込み蹴り上げて投げる「巴投げ」だ。『スポーツニッポン』紙によれば、角田選手の巴投げはさまざまなパターンから入り、落とす方向も自在に変えられるため防ぐのが難しいという。
一般的には奇襲とされる巴投げだが、角田選手にとっては勝負を決める定番の技。イメージは子供をあやす「高い高い」で「足の裏で体重を感じ取りながら、手で支えるように持ち上げて落とす」という。『日刊スポーツ』紙が報じた。
ニュースサイト「FNNプライムオンライン」によれば、角田選手が父のすすめで柔道を始めたのは小学2年生の時。理由は「とにかく泣き虫だったから」で、本当にいつも泣いてばかりの角田選手は、試合開始前に既に泣いているのが常だったという。
画像:Instagram, @tsunoda_natsumi
角田選手は昔から無双状態だったわけではない。高校時代にインターハイに出場するも、優勝するには至らず。そのため高校卒業後は柔道を辞めようと思っていたという。
「(高校卒業後は)ケーキ屋さんになるから専門学校に行く」と顧問の先生に告げると、「インターハイ3位になってるやつがケーキ屋さんなんかやるか」と怒られ、東京学芸大学への進学を決めたという。『東京スポーツ』紙が報じた。
画像:Instagram, @tsunoda_natsumi
ニュースサイト「FNNプライムオンライン」によれば、スカウトされた東京学芸大学は柔道強豪校ではなく、稽古は1日1回を週数回だけ。練習量が圧倒的に少なくなったので、増えた自由時間に柔術やグラップリング(関節技や締め技を主体とする格闘技)に没頭するようになったという。
こうした格闘技には、柔道の寝技に応用できる技術が数多くあった。こうして現在、巴投げと共に角田選手の代名詞となっている「腕挫十字固(相手の腕を足で挟む関節技)」が編み出された。
柔道52キロ級には強力なライバルたちがいた。パリ五輪で東京五輪に続く金メダルを確実視されている阿部詩選手や2017年に世界女王となった志々目愛(ししめ あい)選手だ。
そのため52キロ級で世界選手権の銀メダル(2017年)やアジア大会優勝(2018年)の実績をもちながら、角田選手は2019年に1つ下の48キロ級に階級を変更している。この異例の決断はどうしても2021年開催の東京五輪出場の夢を諦めきれなかったからだ。
「テレスポ」に出演した角田選手は階級変更についてこう語っている:「52キロ級でずっとやってきて代表になれないとなった時に、やっぱりまだ柔道を続けたいという思いがありました。『階級を変えてでも目指したい』と思ったことが階級を変えた理由です」
しかし東京五輪出場の夢は叶わず、引退の文字が頭をよぎるも、2021年の世界選手権48キロ級で角田選手は初優勝を飾る。しかも初戦から全5試合を1本勝ちする圧巻の勝利だった。
その後も角田選手の快進撃は止まらなかった。2022年の世界選手権も全試合一本勝ちで2連覇を果たし、2023年もオール1本勝ちで3連覇を達成。そして階級の2番手以下に大差をつけたことで、日本柔道史上最速、五輪本番の1年1か月前という異例の速さでパリ五輪代表の座を手にした。
世界最強となっても、泣き虫なのは変わらない。「FNNプライムオンライン」のインタビューでこう語っている:「......『負けたらどうしよう』ばかり考えて、試合の合間でも涙がポロポロ。年のせいかまた涙もろくなって......」
そんな角田選手は、もちろん五輪でも泣いていた。『日刊スポーツ』紙によれば、「前の選手が負けて泣いて帰ってきた時、もらい泣きしそうになっちゃったんですけど、すぐ試合だったので泣けずじまい(笑い)。でも、終わって今井コーチと会った時は、やっぱり泣きました」とコメントしたという。