歴史をつくった女性アスリートたち

女性とスポーツ
キャサリン・スウィッツァー
エンリケタ・バシリオ
ルシア・ハリス
ビリー・ジーン・キング
ガートルード・エダール
ナディア・コマネチ
シャーロット・クーパー
アリス・コーチマン
アーダ・ヘーゲルベルグ
セリーナ・ウィリアムズ
女性とスポーツ

現在では女子プロスポーツ選手という存在が当たり前になっているが、その地位はけっして誰かによって気前よく与えられたわけではない。それは過去の女子選手たちが、有名な選手も無名な選手も、いわば「身一つ」で挑みかかってきた結果なのだ。たとえばマラソン選手のキャサリン・スウィッツァーのように。

キャサリン・スウィッツァー

キャサリン・スウィッツァーはボストンマラソンを走った最初の女性ランナーである。1967年のことだった。当時のボストンマラソンは女性の参加を認めておらず、スウィッツァーは性別を隠して参加した。レース中にそれがばれて妨害を受けることになったが(写真はゼッケンをはがされようとするところ)、周囲の協力者の助けもあって見事完走を果たす。ボストンマラソンは1972年に女性の参加を認めるようになった。スウィツァーは1974年のニューヨークシティマラソンで優勝し、その後も女子マラソンの普及に尽力する。

エンリケタ・バシリオ

メキシコのハードル選手エンリケタ・バシリオは、オリンピックのトーチを運んで聖火台に点火した最初の女性になった。1968年のメキシコオリンピックでのことである。この大会は、男子200メートル競走の表彰台でトミー・スミスとジョン・カーロスが黒い手袋をはめて「ブラックパワー・サリュート」(拳を高く掲げて黒人差別への抗議の意志を示すこと、公民権運動が活発だったころのアメリカで黒人たちに広まった)を行ったことでも記憶されている。同競技で2位のピーター・ノーマンはオーストラリアの白人だったが、二人が所属する黒人団体のバッジをもらって胸につけ、連帯を示した。

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ルシア・ハリス

ルシア・ハリスはNBAドラフトで指名された唯一の女性選手である。1977年、ニューオーリンズ・ジャズからの指名だった。当時妊娠中だったため契約には至らなかったものの、まだWNBA(全米女子バスケットボール協会)が存在しなかった時代、世界最高のバスケットボールリーグから指名を受けた女子選手は、あとにもさきにも彼女ひとりだ。

ビリー・ジーン・キング

ビリー・ジーン・キングは女子テニス選手で、1973年に「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」なる男女対抗試合でボビー・リッグスを下した。この試合のことはエマ・ストーン主演で映画にもなっているから、ご存じの方も多いだろう。対戦相手のボビー・リッグスは1939年のウィンブルドン制覇を果たしている往年の名プレイヤー。当時テニス界では男女の賞金格差が問題となっていたが、この試合を一つのきっかけとして、女子テニスも興行として成り立つようになっていった。

ガートルード・エダール

ガートルード・エダールはアメリカの競泳選手。英仏をへだてるイギリス海峡を泳いで渡った初めての女性である。偉業の達成は1926年8月6日のことだった。朝7時頃にフランスの「グリ・ネ岬」を出発し、その14時間34分後にケント州キングスダウンに上陸してイングランドの地を踏んだという記録が残っている。1924年のパリオリンピックでは女子4×100mフリーリレーに出場し、金メダルを獲得している。

ナディア・コマネチ

ナディア・コマネチはルーマニアの体操選手。14歳のときに出場した1976年モントリオールオリンピックの段違い平行棒と平均台の演技で、オリンピック史上初となる10点満点を獲得した。1980年モスクワオリンピックでは、平均台と床の演技で金メダルを獲得している。ビートたけしにギャグのインスピレーションを与えるのもこの頃のこと。

シャーロット・クーパー

シャーロット・クーパーはロンドン出身のテニス選手で、1900年のパリ五輪から新設された女子シングルスと混合ダブルスの競技において、記念すべき最初の金メダルに輝いた人物として重要である。近代オリンピックは1896年のアテネ大会から始まったが、当初テニスは男子の二部門しかなかったのだ。

アリス・コーチマン

アリス・コーチマンはアメリカ南部出身の走高跳選手である。きびしい人種差別にも負けじと力を伸ばし、1948年のロンドン五輪に出場すると予選のジャンプで大会記録を塗り替え、その勢いのまま黒人女性選手として初となる金メダルを獲得した。経済的に恵まれていたわけでもなく、自分が使う練習施設の掃除係として働くような苦労もしたという。

アーダ・ヘーゲルベルグ

アーダ・ヘーゲルベルグはノルウェー出身のサッカー選手で、2018年に初代「女子バロンドール」を受賞した。女子サッカーの年間最優秀選手に選ばれたということである。「女子バロンドール」にはこれまで、熊谷紗希(2018年)と長谷川唯、宮澤ひなた(2023年)が日本選手からノミネートされている。アーダ・ヘーゲルベルグはナイキと100万ドルのスポンサー契約を結んだ初の女子サッカー選手でもある。

セリーナ・ウィリアムズ

セリーナ・ウィリアムズをこのリストから外してはならないだろう。セリーナと姉のビーナス・ウィリアムズが女子テニス(そして女子スポーツ全体)に果たした役割は計り知れない。セリーナのグランドスラム優勝回数は39回、オリンピックでは4つの金メダルを獲得している。男女の区別をとりはらっても、史上最も重要なテニス選手の一人であることは間違いない。

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