「禁断の移籍」:レアル・マドリードとFCバルセロナの両方でプレーした選手たち

「エル・クラシコ」
永遠のライバル
高いテンション
互いにリスペクト
才能を見出す力
独裁政権下のカンプ・ノウ
取り戻したアイデンティティ
ラ・リーガの両雄
ルイス・フィーゴ
初代の「銀河系軍団」
ロナウド
ルイス・エンリケ
愛称はルーチョ
ミカエル・ラウドルップ
ライバルチームへ移籍
フレン・ロペテギ
ベルント・シュスター
スペインの3つのビッグクラブでプレー
サミュエル・エトー
リカルド・サモラ
「サモラ賞」
久保建英
「エル・クラシコ」

レアル・マドリードとFCバルセロナの試合を「エル・クラシコ」と呼ぶ。スペインを代表する2つのビッグクラブが正面からぶつかり合う、世界中のサッカーファンたちから注目を浴びる試合だ。両クラブの100年以上にわたるライバル関係はきわめて複雑で、サッカーの枠にとどまらず政治的な意味合いをもつこともある。

永遠のライバル

スペインを代表する二大都市のクラブが、フットボールとアイデンティティをかけて90分間ピッチの上で対決する。人々の期待を一身に背負った両クラブのぶつかり合いは、いやがうえにも盛り上がりをみせる。

高いテンション

「エル・クラシコ」では当然ながら緊張は高まり、選手同士やときにはコーチもけんか腰になることは珍しくない。アドレナリンが最大に放出され、一触即発の雰囲気となる。

互いにリスペクト

とはいえレアル・マドリードとFCバルセロナは、互いに深い敬意を払っている。どちらも世界的ビッグクラブとみなされ、さらにラ・リーガ(スペインの1部リーグ)創設以来一度も降格したことがないチームだ。

才能を見出す力

両クラブは、世界トップレベルを誇る欧州大会を制覇するような未来の才能を見出し、育成する力にかけても一流だ。

独裁政権下のカンプ・ノウ

フランシスコ・フランコ総統による独裁政権下、FCバルセロナは受難の時代を迎えた。カタルーニャ地方では母国語やクラブのエンブレムのカタルーニャ国旗などが禁止されたが、スタジアム内だけは黙認されていたようだ。そのため、カンプ・ノウはカタルーニャの人たちにとって質の高いサッカーを観戦しながら自分たちの文化を満喫できる安全な場所となった。

取り戻したアイデンティティ

1975年にフランコ総統が死去した後、FCバルセロナはオリジナルのエンブレムと応援歌を復活させた。

ラ・リーガの両雄

FCバルセロナとレアル・マドリードは、スペインリーグでは他のクラブとは比較にならないほど豊かな資金力を誇る。両クラブには高額移籍金を払う経済的余裕があり、才能ある人材を早期に確保することもできた。しかし、バルセロナの選手がマドリードに移籍したり、逆にマドリードへの移籍が行わると両者の間に険悪なムードが漂う。

ルイス・フィーゴ

FCバルセロナとレアル・マドリード間の移籍で最も物議を醸したのは、ポルトガル出身のルイス・フィーゴであることは間違いない。1995年にスポルティングCPからFCバルセロナに移籍した後、2000年にレアル・マドリードのフロレンティーノ・ペレス会長が破格の移籍金を提示、”禁断の移籍”を果たした。

初代の「銀河系軍団」

フィーゴはレアル・マドリードに5シーズン在籍し、58ゴール、76アシストを記録した。「銀河系軍団」と呼ばれたドリームチームの初期中心人物となるが、FCバルセロナのファンからは憎まれた。レアル・マドリードのスター選手としてフィーゴがカンプ・ノウでプレーする度にブーイングが起き、ゴミなどがピッチに投げ込まれた。

ロナウド

サッカー史上最も偉大なストライカーの一人であるロナウドは、96-97年のシーズンにPSVアイントホーフェンからFCバルセロナに移籍した。1シーズンのみプレーし、その後インテル・ミラノで数シーズンを過ごした後、フロレンティーノ・ペレス会長率いるレアル・マドリードへ移籍した。02-03シーズンから2007年シーズンまで在籍し、177試合で104ゴールを叩き出した。

ルイス・エンリケ

地元のスポルティング・ヒホンから91-92シーズンにレアル・マドリードに移籍し、5シーズン在籍した。96-97年に首脳陣と対立したエンリケはFCバルセロナに移籍することを決意し、03-04シーズンまで在籍した。

愛称はルーチョ

エンリケは両クラブでタイトル獲得に貢献したが、FCバルセロナの方を気に入っていたようだ。2014年には同クラブの監督に就任している。

ミカエル・ラウドルップ

デンマーク出身のラウドルップは、
1989年にFCバルセロナのヨハン・クライフ率いる「ドリームチーム」の一員となった。1994年まで在籍し、296試合で97ゴールに達した。

ライバルチームへ移籍

ラウドルップは1994-95シーズンからはレアル・マドリードでプレーした。2年間在籍し、76試合に出場。

フレン・ロペテギ

レアル・マドリードのゴールキーパーだったロペテギは、1994年にバルセロナへ移籍し、数年にわたり好成績を収めた。

ベルント・シュスター

ドイツ出身のシュスターは、1980年から1988年までFCバルセロナに在籍し、300試合で119ゴールを挙げた。1988年にレアル・マドリードに移籍し、1990年までプレー。リーグ連覇の大きな原動力となった。

スペインの3つのビッグクラブでプレー

シュスターは、FCバルセロナ、レアル・マドリードを経て1990年にアトレティコ・マドリードへ移籍した。スペインの3つのビッグクラブのユニフォームを着ることができた数少ない選手の一人で、シュスターがどれだけ注目を集めていた選手であったのかを強く物語っている。

サミュエル・エトー

カメルーン出身のフォワード、エトーは、天才少年として16歳の時にレアル・マドリードのリザーブチームであるレアル・マドリード・カスティージャと契約した。その後、RCDマジョルカなどのクラブにレンタルされたが、2004年にFCバルセロナへ移籍、2009年まで在籍した。エトーはFCバルセロナで計237試合に出場し155ゴールを記録する、キャリア最高の時を過ごした。

リカルド・サモラ

サモラは史上最高と呼ばれるゴールキーパーのひとりで、レアル・マドリードとFCバルセロナの両クラブに所属した最初のビッグネームだ。1919年から22年までFCバルセロナでプレーし、エスパニョールを経て1930年からはレアル・マドリードの先発GKとなった。しかし、スペイン内戦の影響により、すべてのスポーツが中断を余儀なくされ、レアル・マドリードでのプレーは短期間に終わった。

「サモラ賞」

サモラは反政府側のプロパガンダに利用され投獄されてしまう。放免後は、フランスのOGCニースに移籍、翌年に引退した。偉大なサモラに敬意を称し、今日までラ・リーガの年間最優秀ゴールキーパーには、「サモラ賞」が授与されている。

久保建英

ちなみに日本の久保建英選手も両クラブのユニフォームを着ている。2011年に日本人として初めてFCバルセロナのカンテラ入団テストに合格し渡西。退団後日本のクラブを経て、2019年にレアル・マドリードに移籍した。

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