かつて五輪に採用された風変わりな競技たち:ソロ・シンクロに熱気球、決闘……
世界中を沸かせたパリオリンピックで、日本選手団は海外で行われたオリンピックでは最多となる合計40個のメダルを獲得した。
日本勢は「お家芸」といわれる体操や柔道、レスリングなどで目覚ましい活躍をしたほか、パリ五輪で初登場した新競技のブレイキンではAyumi選手が金メダルを獲得して大きな注目を浴びた。
だが、長い歴史を誇るオリンピックだけに、いささか奇妙な「スポーツ」がその競技種目に含まれていたことも。いまの目から見ると少し不思議な競技にはどのようなものがあったのだろうか。
1900年パリ大会は熱気球がオリンピック種目となった唯一の大会だ。熱気球を使って、到達高度や到達距離が競われた。最高高度の優勝記録は8,558メートル、到達距離ではパリからウクライナのキーウまで達したという。
そもそもどこか矛盾していそうな種目だが、ソロ・シンクロナイズドスイミングは1984年から1992年までオリンピック種目となっていた。トレイシー・ルイズ、キャロリン・ワルド、クリステン・バブ=スプラグ、シルヴィー・フレシェットなどの選手が優勝している。
『GQスポーツ』誌によると、1904年のセントルイス大会では素潜りが競われたという。1分という時間制限の中、再浮上するまでにどれだけ深く潜れるかを競うというもので、優勝したウィリアム・ディッキーの記録は62.5フィート(約19メートル)だった。
射撃競技は初回以来オリンピックの代表的な種目だが、生きたハトを撃つとなると現代人の眼にはかなり奇妙に映る。そのハト撃ちが競われたのは1900年パリ大会で、優勝者は21羽のハトを撃ち落とした。大会全体では300羽以上のハトが犠牲となったようだ。
スポーツ・フィッシングは現在でも愛好者が多いが、オランダ誌『NOS Jeugdjournaal』のサイトによると、1900年パリ大会では実際に釣りが競技として採用されたという。600人以上が腕を競い合い、全部で2,000匹以上の魚が釣り上げられた。最大サイズの釣果を挙げたのはエリー・ルスールという人物だったらしい。
ピストルでの決闘がオリンピック競技……と聞くと耳を疑うが、実際にはふたりの人間が撃ち合ったわけではない。1912年のストックホルム大会では、フロックコートを着せたマネキンに向けて発砲、射撃の腕を競い合ったということだ。
馬術はオリンピックには欠かせないが、馬に乗って幅跳びや高跳びをやるというのは変わっている。馬がやる気なら、棒高跳びでもやりかねない。実際の競技内容は字面から想像する通りのもので、これもまた1900年パリ大会で採用されていた。
まるでオリンピック版SASUKEだが、1900年パリ大会では水泳競技に障害コースが存在した。セーヌ川を舞台にポールに登ったり、ボートの下をくぐり抜けたりしたらしい。優勝者はオーストラリアのフレッド・レーンだった。この競技は復活させても面白そうだ。