男子アイスホッケーに挑戦した女子選手:ジャスティン・ブレイニー=ブローカー

アイスホッケー史に残る挑戦
トロント生まれ
「女子のスポーツ」とは?
アイスホッケーを選択
地元チームでトレーニング
「パックの扱いはサッパリ」
フィジカル面のぶつかり合い
屈辱的な経験
「実力はあるのにプレーしてはいけないのですか?」
母のサポート
広がる反響
記者や弁護士の協力
フレイザー弁護士の指摘
法廷の判断
控訴審で逆転勝訴
画期的な一歩
アイスホッケー史に残る挑戦

豊かな自然やメープルシロップで知られるカナダだが、アイスホッケーにかける情熱は他の国々とは比較にならないものがある。それだけに、女子選手のジャスティン・ブレイニー=ブローカーがアイスホッケー界における異例の挑戦を行ったとき、その反響は非常に大きかったのだ。

トロント生まれ

1973年にカナダのトロントで誕生したジャスティン・ブレイニー=ブローカー。多くのカナダ人がそうであるように、幼いころからスケートとアイスホッケーに親しみながら成長した。

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「女子のスポーツ」とは?

ところが、当時のカナダにおいてアイスホッケーは「女子のスポーツ」ではなかった。女子アスリートたちはフィギュアスケートや体操といった競技に取り組むことが推奨されていたのだ。けれでも、ジャスティンはこういった「女子のスポーツ」にあまり興味がわかなかったという。

アイスホッケーを選択

母のキャロラインがBBC放送に語ったところによれば、ジャスティンは「たちまちフィギュアスケートに飽きてしまった」という。その後、別の競技を選ぶ段になって、ジャスティンは母に「(兄の)デイヴみたいにホッケーがしたい」と宣言。

 

地元チームでトレーニング

多くのカナダ人がそうであるように、ジャスティンも生まれつきスケートは得意だった。とはいえ、オンタリオ女子ホッケー協会所属のトロント・リーサイド・ワイルドキャッツの指導のもとトレーニングを積むようになると、アイスホッケーならではの難しさに直面することとなった。

写真:高校でサッカーをプレーするジャスティン

「パックの扱いはサッパリ」

BBC放送のインタビューの中でジャスティンは、アイスホッケーに取り組み始めた当時を振り返ってこう語っている:「スケートで速く滑るのは得意でした。でも、パックの扱いはサッパリだったんです。ルールすら知りませんでしたが、すぐに兄が教えてくれました」

 

フィジカル面のぶつかり合い

ジャスティンにとってアイスホッケーの魅力はフィジカル面のぶつかり合いにあった。プロテクターを装着してリンクに出るとはいえ、試合が終わってみればあざだらけということも珍しくないのだ。ところが、当時ジャスティンが所属していた女子チームでは、このような激しいプレーは認められておらず、ジャスティンは大いに落ち込んでしまった。

 

 

屈辱的な経験

トレーニングを積み、身体も大きくなったことで自信をつけたジャスティンは、メトロ・トロント・ホッケー・リーグで出場権を手にしたが、女子選手であることを理由にプレーを拒否されてしまう。入団試験の際には監督から「うちにはタンポンもナプキンもない」という屈辱的な言葉をかけられ、何とかしなくてはいけないと痛感したという。

「実力はあるのにプレーしてはいけないのですか?」

当時、ジャスティンはわずか12歳という若さだったが、リーグを相手に戦うことを決断。「実力はあるのにプレーしてはいけないのですか? 今日からMTHL(メトロ・トロント・ホッケー・リーグ)の入団テストが始まりますが、返事はわかりきっています:『力量は十分です。入団させてあげたいのですが、女性はちょっと……』というのです」という有名な手紙を送ったのだ。

母のサポート

兄がアイスホッケーに精を出している間、ジャスティンは母と一緒に手紙を準備し、満を持して送付したのだという。

 

 

広がる反響

この手紙が数年にわたる法廷闘争のきっかけとなり、自分の名前がカナダ中で知られるようになるとは、当時のジャスティンには思いもよらぬことだったに違いない。

記者や弁護士の協力

ジャスティンの手紙は、アイスホッケーのマイナーリーグを取材していたロイス・カルチマン記者の目に留まった。彼女はジャスティンの窮状を記事にしたばかりか、知人のアン・フレイザー弁護士の協力を得て訴訟を起こすことにしたのだ。

フレイザー弁護士の指摘

フレイザー弁護士の娘ディアドラはBBC放送に対し、「母とジャスティン・ブレイニーは名コンビでした。母は人権訴訟から手を引くつもりはなかったのですから」とコメント。当時、フレイザー弁護士はまだ新米だったというが、オンタリオ州では性差別が禁じられていることを指摘した。しかし、世間の反応は「スポーツは違う」というものだった。

法廷の判断

フレイザー弁護士はジャスティンの能力とカナダの法律で保障されている平等権を考慮すれば、男子チームでのプレーが認めらてしかるべきだと論陣を張った。しかし、法廷の判断は違っていた。ジャスティンはすでにアイスホッケーをプレーすることができている上、思春期男女の身体的差異は大きく、ケガの危険性があるというのだ。

控訴審で逆転勝訴

この事件に対する世間の目は冷たかったが、ジャスティンはめげずに控訴。法廷闘争の末、今度はオンタリオ州控訴裁判所で逆転勝訴となった。この結果を受けて、カナダではアイスホッケーばかりか女子スポーツ全般のルールが変更されることとなった。

画期的な一歩

ジャスティンが勝ち取った画期的な判決のお陰で、カナダでは男女混合チームによる競技が可能となったのだ。その後、ジャスティンはトロント大学に通うかたわらトロント・レディー・ブルースで競技を続けたほか、カナダ女子ホッケーリーグ(NWHL)のブランプトン・サンダーでもプレー。現在ではオンタリオ州ブランプトンでカイロプラクティックに従事しているとのこと。

 

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