白血病を克服してオリンピックで金メダル獲得:オランダの水泳選手、マールテン・ファン・デル・ウェイデンの活躍
オープン ・ウォーター・スイミング(海や川などで行われる長距離水泳競技)で活躍した元水泳選手のマールテン・ファン・デル・ウェイデン(Maarten van der Weijden)をご存じだろうか? 逆境をはね返して五輪を制したオランダのレジェンドだ。今回はそんなファン・デル・ウェイデンの驚くべき半生を振り返ろう。
1981年にアムステルダム北方の街、アルクマールで誕生したファン・デル・ウェイデン。若いころから才能の片鱗を見せており、1998年のオランダ選手権では1500メートル自由形で金メダルを獲得、水泳界に新星登場を印象づけた。その後、わずか数年間のうちに金メダルを増やした。
2000年にはハワイで開催されたオープン・ウォーター・スイミング大会に出場、10キロメートルの種目で9位入賞を果たした。
ところが、2001年に難病を患っていることが発覚し、スポーツどころではなくなってしまう。
診断の結果は白血病。発症のメカニズムをはじめ未解明の部分が多い血液のガンだ。
ファン・デル・ウェイデンは化学療法と造血幹細胞移植の助けを借りつつ、競技への復帰を目指して闘病を続けた。
4年間におよぶ闘病生活の末、ファン・デル・ウェイデンは白血病を克服することに成功。
実は、ファン・デル・ウェイデンは病が完治する前から競技に復帰しており、800メートル自由形でオランダ選手権を制していた。
他方、水泳のスキルを活かしてガンの撲滅に貢献する取り組みもスタート。たとえば、2004年にはアムステルダム北方にあるアイセル湖を記録的な速さで横断するというチャリティに挑戦、オランダがん協会(KWF)に多額の資金をもたらしている。
さらに、学業の面でも己を磨くことを忘れないファン・デル・ウェイデンは、同年にユトレヒト大学で数学の学士号を取得。
その後、オランダ水泳界の重鎮、ピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドのアドバイスにより、アイントホーフェン国立水泳センターでトレーニングに励むことに。
5キロメートルで自身の持つオランダ記録を更新したファン・デル・ウェイデンが次なる目標としたのは、2006年にブダペストで開催された欧州オープン・ウォーター・スイミング選手権大会だった。この大会では10キロメートル競技に挑戦、銀メダルを手にする。
さらに2年後には、スペインのセビーリャで開催された世界オープン・ウォーター・スイミング選手権大会で大活躍。25キロメートルで金メダル、5キロメートルで銅メダルに輝いた。
しかし、アスリート最大の夢は何といってもオリンピックの舞台で戦うこと。ファン・デル・ウェイデンにとってもそれは例外ではなかった。さいわい、彼はセビーリャで開催された世界オープン・ウォーター・スイミング選手権大会の10キロメートル競技でも4位につけており、これによって2008年北京オリンピックへの切符を手にすることができた。
五輪に出場するからには目標は金メダル。そして、ファン・デル・ウェイデンは1時間51分53秒という記録でその夢を叶えることとなった。オランダの英雄が誕生した瞬間だ。
ファン・デル・ウェイデンの快挙は母国に大きな喜びを巻き起こし、閉会式ではオランダ選手団の旗手を務めるという栄誉にあずかっている。
さらに、五輪での活躍が評価され、オランダでは2008年の最優秀アスリートにも選出されることに。
しかし、受賞スピーチの場でファン・デル・ウェイデンは思いがけず引退を表明。いわく:「ガンを患ってもこれだけのことが成し遂げられると証明できて、ひと仕事終えた気分です」
その後、白血病との闘いや五輪金メダルへ至るまでの葛藤を人々に伝えるため、『Beter』という自伝を出版。
2018年、今度は24時間水泳に挑戦。なんと102.8キロメートルを泳ぎ切り、世界記録を更新してしまった。
ところで、オランダには「エルフステーデントフト」と呼ばれる、全長200キロメートルにもおよぶ長距離スケートコースがある。これは水路や川を利用した天然のスケートリンクだが、ファン・デル・ウェイデンは2019年にこれを泳いで一周するというチャレンジに挑み、75時間弱で見事完遂。これはガン研究のためのチャリティとして行われたもので、610万ユーロ(9億5000万円あまり)もの資金が集まったという。2023年にはさらに、同じコースでトライアスロンにも挑戦している。
とてつもない逆境に見舞われながら、驚異的な忍耐力を発揮し、アスリートとして見事な返り咲きを果たしたマールテン・ファン・デル・ウェイデン。ガンと闘う人々にとっては、まさに希望の星だと言えるだろう。