パリの金メダルを狙う若き女子サーファー、キャロライン・マークス
女子サーフィン界は近年、偉大なアスリートたちのおかげでメジャーなスポーツに進化している。ここ10年ほどの女子サーフィン界に君臨するのは、カリッサ・ムーア、ステファニー・ギルモアという二大巨頭だった。しかし今、新しい世代の若いサーファーたちがランキングに波乱をもたらしている。
21歳という若さにもかかわらず、キャロライン・マークスは自身が幼いころに憧れていたカリッサ・ムーアを抜いて世界ランキング1位になっている。マークスは2023年に大きなセンセーションを巻き起こしたのだ。
キャロライン・マークスは19歳のときにはまだ、世界ランキング6位だった。しかし、そのユニークなスタイルと高い攻撃性により、すぐに世界ランキング3位以内に食い込んだ。
マークスは2023年、米南カリフォルニアのLower Trestles(ローワー・トレッスルズ)で開催された世界タイトル決定戦に出場し、そのパワフルなバックサイドライドによって勝利を手にしたのである。
それはマークスの若さと勢いが、ステファニー・ギルモアやカリッサ・ムーアを凌いだ大会だったといってよい。ここ15年間、WSL女子ワールドチャンピオンの座はギルモアとムーアによって占められていたが、その2人を抑えて他の選手が優勝するのは、2016年と2017年のタイラー・ライト以来である。
ローワー・トレッスルズでの最終戦を前に、キャロライン・マークスは『PEOPLE』誌にて、WSLファイナルと2024年オリンピックに向けた思いを語っている:「ベストな選手を倒して自分がベストになりたい」
女子サーフィンのここ45年の趨勢を振り返ると、ワールドチャンピオン獲得時の平均年齢は25歳になっている。
ブラジル生まれカウアイ島育ちのタティアナ・ウェストン-ウェブや、アメリカのレイキー・ピーターソンなど、ワールドタイトル獲得を目指した優れたサーファーはたくさんいたが、彼女たちはあと一歩のところで及ばなかった。それほど競争は厳しいのだ。
キャロライン・マークスは6人きょうだいの上から3番目として生まれた。スポーツ好きな家族に囲まれて育ち、10歳のときにフロリダ州のメルボルン・ビーチでサーフィンを始めた。それからは日常的にサーフィンを楽しみ、波の立たない日には裏庭のハーフパイプで遊んでいたという。
マークスは右足を前にして板に乗る「グーフィー・フッター」として成長し、たちまちバックサイドライドにも熟達した。グーフィー・フッターのサーファーがワールドタイトルを獲得するのは、2005年のチェルシー・ジョージソン、1990年のパム・バリッジに続く快挙である。
マークスの初タイトル獲得は2019年のことで、その年のルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。2021年に獲得したタイトルは一つだけで、2022年にはしばらく休養をとった。
何年間かツアーに出場し、世界中でサーフィンをしたあと、ワールドチャンピオンになったキャロライン・マークスはホーム・グラウンドに戻ることに決めた。カリフォルニアに足を伸ばし、ケリー・スレーターが開発したウェイブプール「サーフランチ」を訪れたものの、結局は愛着のあるフロリダの海に戻ってきたのだ。
来夏2024年のパリオリンピックを控えて、マークスの心には唯一かつ最大の目標が掲げられている。もちろん、オリンピック優勝だ。
アメリカのサーフ・チームは地球上で最も才能のあるサーファーたちを擁しており、最大の金メダル候補とされている。カリッサ・ムーアとキャロライン・マークスが一つのチームにいるという光景は、ファンにとってそれだけで気の遠くなる出来事でもある。
「少なくとも私について言えば、これまでサーフィンのことしか考えていなかったので、オリンピックをちゃんと見たことはなかったです。実際に会場に足を運んでみて(2020東京オリンピック)、オリンピック出場のすごさがわかりました。つまり、自分が国を代表しているという感触です。それはとても強いものです」と、マークスは『ガーディアン』紙に答えている。
もっとも、アメリカ代表チームだけが金メダルを目指しているわけではない。ブラジル代表、オーストラリア代表、南アフリカ共和国代表、そして日本代表にもメダル獲得の期待がかかっている。パリオリンピックのサーフィン会場は予定通りタヒチになると、組織委員会は発表している。