ボクシング界の伝説、マイク・タイソンの名試合9選を振り返る
並外れた活躍でボクシングの歴史の名を残したヘビー級の名ボクサー、マイク・タイソン。
リング内外での問題行動や並外れたパンチ力から、タイソンは「ボクシング界で一番怖い男」の異名をとっていた。
今回は、20年にわたるタイソンのキャリアの中から、とりわけ注目に値する試合を振り返ってみることにしよう。
ピーター・マクニーリー戦は、性的暴行で服役していたタイソンにとって4年ぶりのボクシング復帰を飾る一戦だった。
この試合でタイソンは激しい戦いぶりを発揮。マクニーリーに強烈なアッパーカットをお見舞いし、開始89秒でノックアウトしてしまった。
マイク・タイソンがプロボクサーとして初めて試合に臨んだのは1985年3月6日。当時18歳だったタイソンの対戦相手は中堅ボクサーのヘクター・メルセデスだった。
タイソンは第1ラウンドでメルセデスをテクニカルノックアウト。この試合を皮切りにタイソンは28連勝、そのうち26試合はKOまたはTKOでの勝利という快進撃だった。
タイソンのキャリアの中で特筆に値する試合の1つが、2005年6月11日に行われたアイルランド人選手ケビン・マクブライドとの激闘だ。この試合はタイソンにとって現役最後の闘いとなった。
試合は接戦となり、両者とも決定打を放つことができなかった。しかし、タイソンは第6ラウンドでマクブライドの腕を折ろうと試みたほか頭突きをするなど悪質な手段に出た末、次のラウンドで棄権。TKO負けとなった。
「最後の決着(Once And For All)」と題されたこの試合。1988年6月、タイソンとマイケル・スピンクスという無敗のスター選手同士が激突したのだ。
当時、”アイアン”・マイク・タイソンはタイトルを3つを保持していた。一方、スピンクスはリングマガジン王者の座にあった。しかし、タイソンは91秒でスピンクスをノックアウトし文句なしの勝利を飾ることとなった。
マイク・タイソンがボクシング史に新たな1ページを記したのは1986年11月22日、トレヴァー・バービックと対戦して初の世界タイトルを獲得した時だった。
当時20歳のタイソンは33歳のバービックを5分35秒でノックアウト。史上最年少のヘビー級世界チャンピオンとなった。
出獄後、貪欲に世界タイトルを目指すタイソンは、1996年3月にヘビー級王者のフランク・ブルーノと対戦。
タイソンが長期間服役していたことから、ファンたちの間にも彼の力量について疑問の声が挙がっていた。しかし、タイソンは第3ラウンドでノックアウトを決め、29歳にして再び世界チャンピオンに返り咲くこととなった。
リング上で対戦相手に怪我させようとすることで有名になっていたタイソン。ウェブサイト「evolve-mma.com」によれば、ラドック戦を控えたタイソンは「あいつが死ぬのでなければ勝っても意味がない、あいつが死んでいなければ勝っても意味がない」と公言するほどだったのだとか。
試合は両者が闘志をむき出しにする激闘となったが、タイソンは第2ラウンドと第3ラウンドでラドックをノックダウンした後、第7ラウンドでテクニカルノックアウトを決め勝利を手にした。
WBC・WBA・IBFヘビー級世界王座の防衛をかけ、手強いライバル、ラリー・ホームズとの闘いに挑んだタイソン。
タイソンはベテランのホームズを第4ラウンドで3回ノックダウン。レフェリーは事故を避けるため、同ラウンド終了前にテクニカルノックアウトを宣告した。
1996年に行われた最初の対戦ではタイソンを破ったホリフィールド。そして1997年、両者は再び相まみえることとなった。
試合は思いもよらぬ展開を見せ、スポーツ史に残る迷試合として記憶されることに。タイソンはホリフィールドの耳を嚙みちぎり、反則負けを喫した上、ライセンス停止処分となったのだ。