サッカー界の魔術師、ロナウジーニョ:フィールドでの大活躍からパスポート偽造事件まで

サッカー界の魔術師
子供時代
グレミオでの活躍
プロデビュー
世界デビュー
カンピオナート・ガウショ
欧州チームへの移籍
2002 FIFAワールドカップ
W杯での活躍がもたらしたもの
FCバルセロナ
キャリアのピーク
FIFA最優秀選手に
輝かしい記録
バロンドール
世界一価値ある選手に
ACミラン
ブラジルに帰国
アトレチコ・ミネイロでの活躍
ロナウジーニョのライフスタイル
ついに引退
法的問題
民事訴訟
過剰な宣伝
偽造パスポート事件
6ヵ月にわたって足止め
1年間におよぶ裁判
キングス・リーグに参加
サッカー界の魔術師

巧みなボールさばきから、史上最高のサッカー選手の1人とされるロナウジーニョ。ピッチ上ではこともなげに妙技を披露していたが、キャリアの方は万事順調というわけではなかった。そこで、今回はサッカー界の魔術師ロナウジーニョの半生を追うことにしよう。

 

子供時代

1980年3月21日、ブラジル南部のポルト・アレグレで誕生したロナウド・デ・アシス・モレイラ。幼少のころから友達とボールを追いかけるのが大好きだったそうだ。しかし、とびぬけた才能を買われて、7歳のときにグレミオFBPAのサッカースクールに入学することとなった。

 

グレミオでの活躍

ロナウジーニョはグレミオFBPAでサッカー選手として活躍を始め、1997年のFIFA U17ワールドカップに出場、優勝を果たしている。グレミオFBPA出身者としてはかつてない有力選手だったのだ。

プロデビュー

1998年には、コパ・リベルタドーレスの試合でプロデビュー。ロナウジーニョの卓越した才能が各国の有力クラブの目に留まったのはこの時だ。

世界デビュー

1999年6月30日、ブラジル代表としてのデビュー戦で、ロナウジーニョはベネズエラ相手に劇的なゴールを決める。相手選手の頭越しにボールを浮かせてディフェンスを突破すると、続くディフェンダーも華麗にかわし、GKレニー・ベガの守るゴールに5点目となるシュートを放ったのだ。試合が終わってみれば、7対0でブラジル代表の圧倒的勝利だった。

カンピオナート・ガウショ

さらに、カンピオナート・ガウショ決勝では、SCインテルナシオナウ相手に決勝ゴールを決めグレミオFBPAに優勝をもたらした。

 

欧州チームへの移籍

2001年、ロナウジーニョはパリ・サンジェルマンFCからオファーを受けたものの法的問題が発生。欧州デビューには数ヵ月を要することとなった。

 

2002 FIFAワールドカップ

日韓共催の2002 FIFAワールドカップでは、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督の下、リバウドやロナウドとともに出場。ブラジル代表にとって5度目となる優勝に貢献した。

W杯での活躍がもたらしたもの

W杯中に大活躍を見せたことで、ロナウジーニョには各国の有力クラブから熱い視線が注がれるように。この頃、ロナウジーニョはすでにパリ・サンジェルマンFCを去る意思を明らかにしており、どのクラブが彼を射止めるのか世界が固唾を呑んで見守っていた。

 

FCバルセロナ

マンチェスター・ユナイテッドFCのオファーを断ったロナウジーニョは、3,200万ドルの契約でFCバルセロナに移籍。

キャリアのピーク

2004年から2005年にかけて、ロナウジーニョはキャリアの頂点にあった。おかげで、FCバルセロナはUEFAチャンピオンズリーグおよびスーペルコパ・デ・エスパーニャで優勝を手にすることができたのだ。

 

FIFA最優秀選手に

さらに、2004年と2005年には2年連続でFIFA最優秀選手に選ばれている。

輝かしい記録

しかも、UEFAチャンピオンズリーグ、コパ・リベルタドーレス、FIFAワールドカップのすべてで優勝を果たしたのは、今のところロナウジーニョただ1人。

 

バロンドール

また、2005年にはFIFA最優秀選手賞とならぶサッカー界の名誉、バロンドールを獲得。

世界一価値ある選手に

2006年3月、ロナウジーニョは世界一高いサッカー選手となり、その推定価値は5,000万ドルに達したという。

ACミラン

FCバルセロナからACミランに移籍したロナウジーニョは、新天地でもユニーク神技を披露し、ファンを沸かせていた。ACミランに在籍した数年間、ロナウジーニョはピッチ内外で羽を伸ばしていたが、2010年に欧州を後にする。

ブラジルに帰国

リオ・デ・ジャネイロのクラブ、CRフラメンゴは2011年1月、満席のガベア・スタジアムでロナウジーニョの加入を歓迎。しかし、1年半にわたって成果を挙げられないまま、アトレチコ・ミネイロへ移籍することとなった。

アトレチコ・ミネイロでの活躍

2012年6月にアトレチコ・ミネイロに加入したロナウジーニョは、カンピオナート・ミネイロ(2013年)、コパ・リベルタドーレス (2013年)、レコパ・スダメリカーナ (2014年)で同チームに優勝をもたらし、一躍人気選手となったのだ。

ロナウジーニョのライフスタイル

すでに選手としてピークを過ぎていたロナウジーニョだが、ACミラノ時代からピッチの外では派手にハメを外しているという噂があった。そして、それはブラジルに帰国してからも続いていた。

 

 

ついに引退

引退前には、ブラジルのフルミネンセFCやメキシコのケレタロFCでもプレーしている。

法的問題

2015年、ロナウジーニョと弟のロベルト・デ・アシス・モレイラ、さらに2人が経営する企業「Reno Construções e Incorporações」は、環境破壊に加担したとして有罪判決を下されてしまった。地元のGloboNews放送によれば、リオグランデ・ド・スル州裁判所は損害賠償のため、80万レアル(およそ16万ドル)の支払いを求めたという。

民事訴訟

さらに202o年には、経済的・精神的損害を発生させたとして、原告団から3億レアル(5,780万ドル)の賠償金支払いを求める集団訴訟を起こされている。

過剰な宣伝

ウェブサイト「Valor Investe」によれば、「18Kロナウジーニョ」社は仮装通貨への投資に関して1日当たり2%の利回りを謳っていたにもかかわらず、投資家らは資金をブロックされてしまったとのこと。

偽造パスポート事件

さらに同年3月、偽造パスポートでパラグアイに入国しようとして弟とともに逮捕される。2人はおよそ32日間を刑務所で過ごした後、アスンシオンのホテルに5ヵ月間軟禁されることとなった。

 

6ヵ月にわたって足止め

ドイチェ・ヴェレ放送によれば、ロナウジーニョと弟は「社会的賠償」という形で科された罰金に加え、裁判費用も負担する羽目になったという。一方、弁護側はロナウジーニョが自身のパスポートの偽造に気づいていなかったと反論した。

 

1年間におよぶ裁判

さらに、マネーロンダリングをはじめとする複数の告発も含め、ロナウジーニョの裁判がようやく結審を迎えたのは2021年8月24日のこと。すでに、ブラジル帰国から1年あまりが経っていた。

キングス・リーグに参加

2023年2月、ロナウジーニョは7人制サッカー大会「キングス・リーグ」の第8ラウンドに登場、バルセロナのCUPRA Arenaスタジアムでプレーを披露した。

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