サッカー界の魔術師、ロナウジーニョ:フィールドでの大活躍からパスポート偽造事件まで
巧みなボールさばきから、史上最高のサッカー選手の1人とされるロナウジーニョ。ピッチ上ではこともなげに妙技を披露していたが、キャリアの方は万事順調というわけではなかった。そこで、今回はサッカー界の魔術師ロナウジーニョの半生を追うことにしよう。
1980年3月21日、ブラジル南部のポルト・アレグレで誕生したロナウド・デ・アシス・モレイラ。幼少のころから友達とボールを追いかけるのが大好きだったそうだ。しかし、とびぬけた才能を買われて、7歳のときにグレミオFBPAのサッカースクールに入学することとなった。
ロナウジーニョはグレミオFBPAでサッカー選手として活躍を始め、1997年のFIFA U17ワールドカップに出場、優勝を果たしている。グレミオFBPA出身者としてはかつてない有力選手だったのだ。
1998年には、コパ・リベルタドーレスの試合でプロデビュー。ロナウジーニョの卓越した才能が各国の有力クラブの目に留まったのはこの時だ。
1999年6月30日、ブラジル代表としてのデビュー戦で、ロナウジーニョはベネズエラ相手に劇的なゴールを決める。相手選手の頭越しにボールを浮かせてディフェンスを突破すると、続くディフェンダーも華麗にかわし、GKレニー・ベガの守るゴールに5点目となるシュートを放ったのだ。試合が終わってみれば、7対0でブラジル代表の圧倒的勝利だった。
さらに、カンピオナート・ガウショ決勝では、SCインテルナシオナウ相手に決勝ゴールを決めグレミオFBPAに優勝をもたらした。
2001年、ロナウジーニョはパリ・サンジェルマンFCからオファーを受けたものの法的問題が発生。欧州デビューには数ヵ月を要することとなった。
日韓共催の2002 FIFAワールドカップでは、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督の下、リバウドやロナウドとともに出場。ブラジル代表にとって5度目となる優勝に貢献した。
W杯中に大活躍を見せたことで、ロナウジーニョには各国の有力クラブから熱い視線が注がれるように。この頃、ロナウジーニョはすでにパリ・サンジェルマンFCを去る意思を明らかにしており、どのクラブが彼を射止めるのか世界が固唾を呑んで見守っていた。
マンチェスター・ユナイテッドFCのオファーを断ったロナウジーニョは、3,200万ドルの契約でFCバルセロナに移籍。
2004年から2005年にかけて、ロナウジーニョはキャリアの頂点にあった。おかげで、FCバルセロナはUEFAチャンピオンズリーグおよびスーペルコパ・デ・エスパーニャで優勝を手にすることができたのだ。
さらに、2004年と2005年には2年連続でFIFA最優秀選手に選ばれている。
しかも、UEFAチャンピオンズリーグ、コパ・リベルタドーレス、FIFAワールドカップのすべてで優勝を果たしたのは、今のところロナウジーニョただ1人。
また、2005年にはFIFA最優秀選手賞とならぶサッカー界の名誉、バロンドールを獲得。
2006年3月、ロナウジーニョは世界一高いサッカー選手となり、その推定価値は5,000万ドルに達したという。
FCバルセロナからACミランに移籍したロナウジーニョは、新天地でもユニーク神技を披露し、ファンを沸かせていた。ACミランに在籍した数年間、ロナウジーニョはピッチ内外で羽を伸ばしていたが、2010年に欧州を後にする。
リオ・デ・ジャネイロのクラブ、CRフラメンゴは2011年1月、満席のガベア・スタジアムでロナウジーニョの加入を歓迎。しかし、1年半にわたって成果を挙げられないまま、アトレチコ・ミネイロへ移籍することとなった。
2012年6月にアトレチコ・ミネイロに加入したロナウジーニョは、カンピオナート・ミネイロ(2013年)、コパ・リベルタドーレス (2013年)、レコパ・スダメリカーナ (2014年)で同チームに優勝をもたらし、一躍人気選手となったのだ。
すでに選手としてピークを過ぎていたロナウジーニョだが、ACミラノ時代からピッチの外では派手にハメを外しているという噂があった。そして、それはブラジルに帰国してからも続いていた。
引退前には、ブラジルのフルミネンセFCやメキシコのケレタロFCでもプレーしている。
2015年、ロナウジーニョと弟のロベルト・デ・アシス・モレイラ、さらに2人が経営する企業「Reno Construções e Incorporações」は、環境破壊に加担したとして有罪判決を下されてしまった。地元のGloboNews放送によれば、リオグランデ・ド・スル州裁判所は損害賠償のため、80万レアル(およそ16万ドル)の支払いを求めたという。
さらに202o年には、経済的・精神的損害を発生させたとして、原告団から3億レアル(5,780万ドル)の賠償金支払いを求める集団訴訟を起こされている。
ウェブサイト「Valor Investe」によれば、「18Kロナウジーニョ」社は仮装通貨への投資に関して1日当たり2%の利回りを謳っていたにもかかわらず、投資家らは資金をブロックされてしまったとのこと。
さらに同年3月、偽造パスポートでパラグアイに入国しようとして弟とともに逮捕される。2人はおよそ32日間を刑務所で過ごした後、アスンシオンのホテルに5ヵ月間軟禁されることとなった。
ドイチェ・ヴェレ放送によれば、ロナウジーニョと弟は「社会的賠償」という形で科された罰金に加え、裁判費用も負担する羽目になったという。一方、弁護側はロナウジーニョが自身のパスポートの偽造に気づいていなかったと反論した。
さらに、マネーロンダリングをはじめとする複数の告発も含め、ロナウジーニョの裁判がようやく結審を迎えたのは2021年8月24日のこと。すでに、ブラジル帰国から1年あまりが経っていた。
2023年2月、ロナウジーニョは7人制サッカー大会「キングス・リーグ」の第8ラウンドに登場、バルセロナのCUPRA Arenaスタジアムでプレーを披露した。