米陸上界の新星:世界チャンピオンに輝いたエマ・コバーン
障害物競走は他の中距離陸上競技とは少し異なり、競技への適性や高い運動能力を必要とするため、誰にでもできるスポーツではない。
コロラド州生まれのコバーンは、幼い頃からさまざまなスポーツに触れ、地元中学校に通いながら、クロスカントリーからバスケットボールまであらゆる種目に取り組んでいた。
2016年に米ウェブサイト『アクティブ』に対し、陸上競技を始めたのは兄や姉の後を追って走りたいという思いからだったとコバーンは語っている。「兄や姉を尊敬していたので、二人と同じことをして、ただ一緒にいたかったんです」
当初、コバーンは陸上競技に興味がなかった。前出のサイトに、「高校生活の半ばまで、陸上競技にそれほど夢中になることはありませんでした」と語った。
ニューメキシコまで6時間かけて陸上競技大会に参加した際、コバーンの父親は予定されていた800m走以外の種目にも挑戦してみることを勧めた。スケジュールの都合でそのとき出場可能な唯一の種目が障害物競走だったのだ。
ここで改めて障害物競走について説明しておこう。障害物競走はランナーが高いハードルなどの障害物や水濠を飛び越えながら、2000メートルまたは3000メートルの距離を競う競技だ。その点で、他の陸上種目とは一線を画す種目といえる。
コバーンは障害物競走でみるみる才能を開花させ、前出のサイト『アクティブ』によれば、わずか16歳で2007年のグレート・サウスウェスタン・クラシック2000メートル障害物競走で優勝を果たした。
2007年のグレート・サウスウェスタン・クラシックでの優勝により、コバーンはアウトドア・ナショナルズへの出場権を獲得し、4位でフィニッシュ。後にコーチとなるマーク・ウェットモアとの出会いのきっかけになった。
10代後半のコバーンは、ウェットモアコーチの元で懸命に練習し、コロラド大学の名門チーム「コロラド・バッファローズ」で活躍を果たす。同チームのウェブサイトによると、コバーンは2つの障害物競走の全国タイトルと、室内競技会では1マイル障害物競走のタイトルを見事に獲得している。
大学陸上ですぐに活躍を果たしたコバーンは、オリンピックを新たな目標に定める。だが、ロンドン大会に出場するためには出場資格が必要だった。そこでコバーンは全米オリンピック選考会に出場し、3000メートル障害物競走で米国女子史上4番目に速い記録を叩き出した。
みごとオリンピック出場権を手にしたコバーンは、2012年ロンドン大会で念願の五輪デビューを果たした。周囲の期待に応えて、まだ21歳ながら強豪選手がひしめく中で9位に食い込んだ。
2013年にコバーンは大学を卒業し、プロランナーとしていっそう本格的に取り組むようになった。米『デンバー・ポスト』紙によると、コバーンはニューバランスとスポンサー契約を結んでいる。
2016年リオ大会の前、コバーンは米ウェブサイト『アクティブ』に対し、「今夜レースを観る人たちには、良い結果を期待していてほしいです。自信をもっています」と語った。そして彼女はその言葉通り、3000メートル障害で9分7秒63という素晴らしいタイムを残し、見事に銅メダルを獲得。ウェブサイト「olympics.com」によると、障害物競走でメダルを獲得した初のアメリカ人女性となった。
2017年、コバーンはさらに好成績を収め、ロンドンで開催された世界選手権で優勝し、世界大会で同種目の金メダルを獲得した初のアメリカ人女性となった。
世界陸上競技連盟によると、金メダルを獲得してから2年後、コバーンは9分2秒35のタイムで自己新記録を樹立し、世界選手権で銀メダルを獲得した。
しかし、コロナ禍で延期となった2020年東京オリンピックは、コバーンにとって残念な結果となった。転倒後にトラックの境界線の柵に触れたため、失格となってしまったのだ。
コバーンはSNSでの注目度も高く、インスタグラムのフォロワー数はなんと50万人以上。自身のトレーニングや、プライベートの様子を発信しているそうだ。