義足でエベレストを目指した女性登山家、カースティ・エニス
カースティ・エニスは元軍人、アスリート、そして人道活動家としての並はずれた業績によって知られている。かつての事故で片脚の大腿部から下を失い、義足を付けているにもかかわらずエベレストの登頂を目指している。
カースティ・エニスは登山家という肩書のほかに、元軍人でアスリート、そして人道活動家としても知られている。並はずれたバイタリティを持つ彼女は、2019年にエベレスト登頂に挑んだ。しかし、簡単なことではなかったようだ。
世界最高峰に43日間挑みつづけた末、当時28才のカースティ・エニスは登頂を断念し、もときた道を引き返すことになった。山頂までわずか200メートルだった。
装備の不足と山頂付近の圧倒的な人の多さに、エニスは再考を迫られたという。コンディションも理想とはいえず、登頂まであと少しに迫った時点でエニスはつらい決断を迫られることになった。
「“登山家”(mountaineer)と呼ばれると、落ち着かない気持ちになりました。登山家とはとても名声ある肩書きですし、多くの人が登山家になりたいと願い、がむしゃらに励んでいるわけですから。そして今回、私がエベレストで目にしたものは、そのような登山家などではありませんでした」と、彼女はNPR(米国公共ラジオ放送)に語っている。お
エベレストはヒマラヤ山脈にある世界最高峰の山である。標高は8848.86メートル、その峰は世界中の登山者たちを惹きつけてきた。
エベレストの登山シーズンは一般的に、春と秋の数ヶ月間だ。この期間、登山家たちは極度の悪天候や不安定な足場、低い酸素濃度、標高8000メートル以上の通称「死のゾーン」と戦うことになる。
「今回、それ以上登攀を続ける理由が見当たらなかったんです。チームを優先できたことは誇りに思っています。単に自己保存本能の働きかもしれませんが。私たちはエベレスト南峰にいました。山頂に続くルートを見上げて、わざわざ登るほどでもない、と思ったのです」と、エニスはNPRのインタビューで語っている。
「義肢や人工装具がぐらついたら、もう終わりです、チームの助けは得られません。しかも文字どおり数百の人が、私の前にも下にも控えていました。したがって、仮に10時間かけて登頂が成功し、酸素も切れずに他のトラブルもなかったとしても、さらに下山に24時間かかるんです」と、エニスは続けた。
1991年2月23日、フロリダ州ホームステッド、伝統ある軍人の家系に生まれたエニスは、ごく自然に愛国心と奉国の精神を身に着けていった。
17才で米海兵隊に入ると、エニスはヘリコプターのドアガンナー(銃手)、機体整備士として従軍。しかし彼女の人生は、2度目のアフガニスタン派遣中に劇的な転換点をむかえる。2012年6月、搭乗していたCH-35Dヘリコプターが輸送任務の途中で墜落したのだ。
この事故により、カースティ・エニス脳、脊髄、顔面への外傷、両肩と片脚にも深刻な怪我を負ってしまった。
人生を一変させる大怪我に、エニスは敢然と立ち向かった。30回を超える手術、そしてきびしいリハビリに耐え、もとのように動ける体を取り戻していったのだ。
しかし、残念なことに左脚の切除はどうしても避けられなくなり、2015年に切断手術が行われた。
左脚の切除後、エニスはスポーツや運動に情熱を見出すことになった。スノーボードに打ち込み、同種目のパラリンピックアスリートになったのである。
エニスはスノーボードの他にも、ロッククライミングやサイクリング、登山など、さまざまなスポーツで才能を発揮している。いくつかのアダプティヴ・スポーツ(パラスポーツ)の大会に参加し、記録をうち立ててもいる。キリマンジャロ登頂も成功させた。彼女は次に、何に挑戦するのだろう?
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