自宅で転倒事故のザッケローニ元監督、ついに完全復活

自宅で転倒事故
何があったのか?
緊急手術
「危機一髪」
1ヵ月も昏睡
無事に完全復活
「3-4-3フォーメーション」
病気でキャリアを断念
監督としてデビュー
コゼンツァ・カルチョ1914
ウディネーゼ・カルチョ
ACミラン
ベルルスコーニ会長との対立
辛辣な批判
ザッケローニ元監督の反応
セリエA所属のクラブで監督を歴任
日本代表の監督に
AFCアジアカップ2011
上皇陛下との面会
EAFF東アジアカップ2013
UAE代表監督に就任
監督業を引退
ザッケローニ元監督はいま
自宅で転倒事故

サッカー日本代表の監督も務めたことがあるアルベルト・ザッケローニ。2023年2月に自宅で転倒事故を起こし、健康状態が懸念されていたが、無事復活を果たしたようだ。

何があったのか?

ザッケローニ元監督本人が伊紙『コリエーレ・デラ・セラ』に語ったところによれば、「階段で8~10段転落してしまったようです。わたしの叫び声を聞いて妻が駆けつけました。頭を打ちまして、妻も冷や汗をかいたのではないでしょうか」とのこと。

 

緊急手術

実際、階段の下に倒れているザッケローニ元監督を発見したのは妻のフルヴィアだった。すぐにチェゼーナ市のブファリーニ病院に搬送され、出血を抑えるための緊急手術が施された。

「危機一髪」

ザッケローニ元監督いわく、大事に至らなかったのが不幸中の幸いだ:「単刀直入に言えば危機一髪ですよ。頭に受けた衝撃は強烈でしたが、さいわい脳に損傷は残りませんでした」

 

1ヵ月も昏睡

『コリエーレ・デラ・セラ』紙のインタビューによれば、ザッケローニ元監督は昏睡状態から目を覚ましたとき、自らの置かれた状況が信じられなかったようだ。いわく:「座って自分の足を見つめました。1ヵ月も寝たきりだったので老人の足みたいになっていて、『筋肉はどこへ行ってしまったんだ?』と目を疑いましたよ」

 

無事に完全復活

さいわい、ザッケローニ元監督は自宅での転倒事故から完全復活を果たした。伊紙『イル・レスト・デル・カルリーノ』は本人の話として、「以前より調子がよいと感じます」という言葉を伝えている。

「3-4-3フォーメーション」

1953年生まれのアルベルト・ザッケローニ。イタリアのサッカーに現代的な「3-4-3フォーメーション」を持ち込んだ名監督として、「ザック」の愛称で親しまれてきた。

病気でキャリアを断念

監督として腕を振るう前は、ASレアル・チェゼナーティコやボローニャのユースチームでサイドバックを務めていた。しかし、肺の疾患が発覚して2シーズンにわたりフィールドを離れることとなり、選手としての道は絶たれてしまった。

監督としてデビュー

アルベルト・ザッケローニが監督としてデビューしたのは1980年代だ。最初はASレアル・チェゼナーティコのユースチームで指揮を執り、続いてヴァッレヴェルデ・リッチオーネFCやFCサン・ラッツァーロ、USバラッカ・ルーゴ、ヴェネツィアFCといったセリエB所属のクラブを渡り歩いたのだ。

コゼンツァ・カルチョ1914

1994-95シーズンにコゼンツァ・カルチョ1914の監督を務めた際には、勝ち点9の剥奪という大きなペナルティにあえぐクラブを奇跡的な采配で転落から守り、一躍注目の的となった。

ウディネーゼ・カルチョ

1995年、ウディネーゼ・カルチョでセリエAデビューを果たしたザッケローニ元監督。パオロ・ポッジ、オリバー・ビアホフ、マルシオ・アモローゾという強力な3トップを活かして3-4-3フォーメーションを駆使、ウディネーゼをクラブ史上はじめてUEFAヨーロッパリーグに導いたうえ、ユヴェントスFCとインテルナツィオナーレ・ミラノに次ぐ3位に押し上げてしまった。

写真:オリバー・ビアホフと写真に収まるザッケローニ元監督(1998年)

 

ACミラン

3年間にわたってウディネーゼ・カルチョを巧みに指揮したザッケローニ元監督は1998-1999シーズンに名門ACミランの監督に就任。ここでもシーズン最後の7日間で信じがたい逆転劇を引き起し、セリエA制覇を果たした。

 

 

ベルルスコーニ会長との対立

はじめこそ華々しい活躍を見せたザッケローニ率いるACミランだったが、2001年にはデポルティーボ・ラ・コルーニャに敗れチャンピオンズリーグから脱落。監督本人もベルルスコーニ会長(当時)からたびたびやり玉に挙げられていた。

 

辛辣な批判

4期にわたってイタリアの首相を務めたことで知られるベルルスコーニ元会長は、ザッケローニ元監督に対し辛辣な批判を浴びせる。1999年には「集中力のない仕立屋は上等な生地をダメにしてしまうだろう」という、忘れがたい発言をしている。

ザッケローニ元監督の反応

ACミランの公式サイト「Pianeta Milan」によれば、これに対するザッケローニ元監督の反応は次のようなものだったらしい:「ベルルスコーニの仕立屋発言? わたしが覚えているのは、部屋の隅にあった白いシーツに『あのコーチはこの生地でスクデット(セリエA優勝チームがユニフォームにつけるマーク)を縫い付けた』って書いてあったことだけですが」

 

セリエA所属のクラブで監督を歴任

ACミランの監督を辞任したザッケローニ元監督は、SSラツィオ(2001-2002シーズン)、インテルナツィオナーレ・ミラノ(2003-2004シーズン)、トリノFC(2006年)、そしてユヴェントスFC(2010年)とセリエAの名門チームで監督を歴任。

日本代表の監督に

2000年代には以前のような大活躍を見せることはなかったが、2010年にはサッカー日本代表の監督に就任。新天地でふたたびスタートを切ることとなった。

 

AFCアジアカップ2011

ここでザッケローニ元監督は本来の調子を取り戻し始める。2011年のアジアカップでは決勝戦でオーストラリアを1-0で下し、日本代表を優勝に導いたのだ。

 

上皇陛下との面会

日本サッカーのレベルアップに貢献したザッケローニ元監督は、当時天皇だった上皇陛下と異例の面会を果たしている。

EAFF東アジアカップ2013

ザッケローニ率いる日本代表が成し遂げたもうひとつの偉業は、EAFF東アジアカップ2013で大会初となる優勝を果たしたことだろう。

 

UAE代表監督に就任

2014年にブラジルで開催されたFIFAワールドカップで日本が敗退すると、ザッケローニ元監督は辞任を決意。2016年には中国の北京国安で短期間監督を務めたのち、2017年にはアラブ首長国連邦(UAE)代表の監督に就任した。

監督業を引退

ザッケローニ率いるUAE代表はガルフカップで準優勝に輝いたほか、2019年にはAFCアジアカップでセミファイナル出場を果たす。しかし、ザッケローニ元監督はこの年、契約満了をもって監督業を引退する決断を下していた。

ザッケローニ元監督はいま

イタリア放送協会(RAI)でスポーツ解説者やコメンテーターを務めたのち、現在は故郷のチェゼナーティコ(エミリア=ロマーニャ州)で家族とともに悠々自適の生活を送っている。転倒事故があったものの復活を遂げたということで、ひとまず安心といったところだろうか。

 

 

 

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