規格外の巨体を誇るアスリートたち:さまざまなスポーツで存在感を発揮!
アスリートといえば、鍛え抜かれたスリムな姿が思い浮かぶかもしれない。確かにそういうスポーツ選手も多いが、何事にも例外はつきもの。規格外の巨体で成功を収めたエリート選手も少なくないのだ。
1997年と2002年の2度にわたってバロンドールに輝き、1997年にはヨーロッパ・ゴールデンシューを獲得、1994年と2002年にはブラジル代表をW杯優勝に導いた男、ロナウド。サッカー史上稀に見る名フォワードだが、実は長年にわたって甲状腺低下症を患い、体重増加に悩まされていたという。それにもかかわらず、キレのあるドリブルと的確なシュートでスタジアムを沸かせ続けた。
「おかわり君」こと西武ライオンズのパワー系内野手、中村剛也(なかむら・たけや)。体重102キロの巨体を活かしたバッティングで6度にわたって本塁打王に輝く一方、その豪快なプレースタイルゆえに日本プロ野球最多となる通算2,000三振を記録している。
「世界一ヘビーなストライカー」の異名を持つイングランド人サッカー選手、アデバヨ・アキンフェンワ。スウォンジー・シティAFCをはじめ英国中のクラブを渡り歩いてきたが、ウィコム・ワンダラーズFCに所属していた2020年、ついにEFLチャンピオンシップ(2部リーグ)に挑戦することができた。
WWEでは「ビッグ・ショー」、WCWでは「ザ・ジャイアント」のリングネームで知られる米国人レスラー、ポール・ライト。アンドレ・ザ・ジャイアントと同様に巨人症を患っていたが、それを逆手に取りリング上で大成功を収めた。
小柄なぽっちゃり体型だったハンガリー出身のフェレンツ・プスカシュ。しかし、侮ることなかれ。無敵のハンガリー代表「マジック・マジャール」の一員としてサッカー史上に残る伝説を生み出したほか、レアル・マドリードでは欧州杯を3度にわたって制しているのだ。
がっしりとした体格にもかかわらず身軽なプレーを披露することから「空飛ぶ冷蔵庫」の異名をとったチャールズ・バークレー。NBA屈指のパワーフォワードとしてフィラデルフィア・セブンティシクサーズやフェニックス・サンズ、ヒューストン・ロケッツでプレーし、1996年のアトランタ五輪では米国代表の一員として金メダルを手にした。
プロ野球選手だった父と同じく、CC・サバシアの名で親しまれたカーステン・チャールズ・サバシア3世。2001年から2019 年まで投手としてプレー、2009年にはニューヨーク・ヤンキースでの活躍が評価され最優秀選手に選ばれている。
最近はスリムな姿を披露しているメキシコ系米国人ボクサー、アンディ・ルイス・ジュニアだが、かつてはでっぷりした体型で知られていた。2019年にはアンソニー・ジョシュアにTKO勝ちし、WBO・WBA・WBO・IBFヘビー級チャンピオンの座を奪い取った。
NBA史上もっとも有名なセンターの1人、シャキール・オニール。身長2メートル16センチ・体重147キロの巨体をフルに活かし、オーランド・マジックやロサンゼルス・レイカーズ、マイアミ・ヒートで大活躍し、チャンピオンリングを4つも獲得した。
巨体の選手も珍しくないNFLだが、身長1メートル80センチで体重113キロというのはかなり太ましい部類。現役時代を通して、グリーンベイ・パッカーズとシアトル・シーホークスのランニングバックを務めた。
体重150キロという異例の体型から「ずんぐりキーパー(Roly Poly Goalie)」の異名をとったウェイン・ショー。キャリアを通してマイナークラブを渡り歩き、AFCボーンマスなどでプレーしたが、一躍有名になったのはサットン・ユナイテッドFCでの解雇騒動だろう。FAカップのアーセナル戦の最中にベンチでミートパイをむさぼっている姿がキャッチされ、この珍奇な行動が賭博の対象になっていたらしいことが判明したのだ。
通称の「エル・ポチョ」で知られる、ベネズエラ出身のずんぐりピッチャー。MLBのタンパベイ・レイズと契約後、傘下のマイナーリーグ球団を渡り歩いたのち、フィラデルフィア・フィリーズに移籍している。
カメルーン系ギリシャ人の「ビッグ・ソフォ」。身長2メートル8センチ、体重216キロの体躯を買われ、2003年のNBAドラフトでロサンゼルス・クリッパーズに指名された。2000年から2020年にかけてアリス・テッサロニキやオリンピアコスBC、マッカビ・テルアビブBC、パナシナイコスBC、KKツルヴェナ・ズヴェズダ、PAOKテッサロニキBCなどでプレーしている。
時を遡って20世紀初頭、英国には重量級のゴールキーパー、ウィリー・フォークがいた。イングランド代表のほか、シェフィールド・ユナイテッドFCやチェルシーFC、ブラッドフォード・シティAFCといったクラブで活躍。その巨体から「ファッティ」とあだ名されるほどだった。
シカゴ・ベアーズをはじめ、NFLで10シーズンにわたる大活躍を見せたディフェンシブタックルのウィリアム・ペリー。「冷蔵庫」の異名にふさわしく25号という規格外サイズのチャンピオンリングを持っているほか、スーパーボウルでタッチダウンを決めた最重量選手というNFL記録も保持している。
「バタービーン」の愛称で親しまれてきたエリック・エッシュ。90年代後半から2000年代にかけてボクシング・キックボクシング・総合格闘技・プロレスのヘビー級選手として170あまりの試合に出場、輝かしい成績を収めた。体重170キロ、身長1.83メートル。
エヴァートンFCで頭角を現した若手時代から、その巨体ですでに際立っていたウェイン・ルーニー。マンチェスター・ユナイテッドFCおよびイングランド代表チームのフォワードとして、歴史的なスコアを挙げることとなった。
現在は政治家として手腕を振るうメキシコの元ストライカー、クアウテモク・ブランコ。レアル・バリャドリード(スペイン)およびシカゴ・ファイアーFC(米国)でプレーした時期を除けば、おもにメキシコが活躍の場だった。28年という長いキャリアの晩年にはかなり肥満気味だったが、得点能力が衰えることはなかった。
ロサンゼルス生まれのスモールフォワード、ジョン・サム・ウィリアムズ。ロサンゼルス・クリッパーズとインディアナ・ペイサーズでプレーした時期を除けば、CBグラナダやバスケット・マンレサ、CBバリャドリッド、CBルセントゥム・アリカンテ、CBウエルバ・シティといったスペインの各クラブで活躍した。その体躯から「ロック」や「ホットプレート」さらには「ファット・ウィリアムズ」といった異名で知られている。
サッカー史上最高のストライカーと称えられるアルゼンチン出身のディエゴ・マラドーナ。小柄なぽっちゃり体型で常に目立っていたが、FCバルセロナやSSCナポリでのトラブルを経てようやく太り過ぎを自覚したようだ。
「ビッグ・ジョージ」の愛称で親しまれた伝説の米国人ボクサー、ジョージ・フォアマン。国際ボクシング研究機関(IBRO)によって、史上最高のヘビー級選手トップ10に選出されている。筋肉美よりも実戦に即したアスリートだったと言えよう。
「エル・オグロ(ザ・鬼)」や「エル・タンケ(ザ・戦車)」の愛称で親しまれたアルゼンチン人フォワード。現役時代の体重は100キロ前後だったが、120キロに達することもあったという。しかし、そのことがずば抜けたプレーを妨げることはなかった。CAラヌース、ベイタル・エルサレムFC、CFRクルジュ、ニューウェルズ・オールドボーイズ、CAリバー・プレートといったクラブを渡り歩いた。
身長1メートル73センチと小柄でぽっちゃり体型だったが、80年代から90年代にかけてラ・リーガに旋風を巻き起こしたオンシモ・サンチェス。FCバルセロナ、セビージャFC、レアル・バリャドリード、ラージョ・バジェカーノで活躍した。
ガタイの良いパワーフォワードとして人々の記憶に刻まれたロバート・トレイラー。身長2メートル6センチ、体重132キロでNBAを代表する重量級選手として、ミルウォーキー・バックスやクリーブランド・キャバリアーズ、シャーロット・ホーネッツ、ニューオーリンズ・ペリカンズでプレーしたほか、スペインとイタリアでも活躍したが、2011年に心臓発作でこの世を去ってしまった。
レアル・マドリードで過ごした1年間について、太り過ぎが原因でパフォーマンスの低下を招いてしまったと、反省気味のアントニオ・カッサーノ。しかし、ACミラン、インテルナツィオナーレ・ミラノ、パルマ・カルチョ1913、UCサンプドリア、エラス・ヴェローナFCといったクラブを渡り歩く中でも、スリムになることはなかった。
「ビッグ・パピ」の愛称で知られるドミニカ出身の一塁手。ミネソタ・ツインズとボストン・レッドソックスでキャリアを積み、MLBオールスターゲームに10度出場。2006年にはシーズン本塁打記録(54本)を達成している。
ウェールズ出身のジョン・ハートソン。アーセナルFC、ウェストハム・ユナイテッドFC、AFCウィンブルドン、コヴェントリー・シティFC、セルティックFC、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCといったクラブを渡り歩き、強靭なフィジカルを活用したパワフルなサッカーを展開した。
均整の取れた肉体美というわけではないが、ゴールキーパーとしては伝説的な活躍を見せたパラグアイ人選手、ホセ・ルイス・チラベルト。フリーキックのプロとして62ゴールを決め、史上2番目にスコアを挙げたキーパーとなった。国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)の評価によれば、20世紀で6番目に優れたゴールキーパーだとのこと。
ガタイの良いメジャーリーガーと言えば、「カンフー・パンダ」ことパブロ・サンドバルだ。体重111キロ、身長1メートル81センチという巨体を活かし、MLBの名門サンフランシスコ・ジャイアンツ、ボストン・レッドソックス、アトランタ・ブレーブス、クリーブランド・インディアンス(現クリーブランド・ガーディアンズ)で活躍した。
選手としてはピカイチだが、ピッチの外ではスキャンダルを巻き起こすことも多かった英国人選手、ポール・ガスコイン。ミッドフィールダーとしてイングランド代表やニューカッスル・ユナイテッドFC、トッテナム・ホットスパーFC、SSラツィオ、レンジャーズFCといった強豪クラブで活躍したが、荒っぽいプレーが目立つ一面も。