2024年8月に他界したスポーツ関係者たち
英プレミアリーグのレスター・シティで監督を務めたこともあるクレイグ・シェイクスピアさんが、8月1日に癌との闘病の末に逝去。2015/16シーズンにレスターがプレミアリーグ初優勝を果たしたときには、クラウディオ・ラニエリ監督(当時)の下でアシスタントコーチを務め、当時レスターに所属していた岡崎慎司も指導した。
現役時代はイングランドサッカーの下位リーグでプレー。指導者となってからはサム・アラダイス監督の下でイングランド代表のアシスタントコーチを務め、1試合で指揮を執った。
NCAA男子バスケットボールトーナメントで1試合100得点という大記録を残したフランク・セルヴィさんが8月13日、91歳で亡くなった。米放送局ESPNによれば、亡くなった原因は公表されていない。
米国の大学No.1を競うNCAA男子バスケットボールトーナメント。ファーマン大学に在籍していたセルヴィさんは、平均41.7得点を記録。ニューベリー大学戦では41回のシュートと18回のフリースローを決め、100 得点を記録した。1954年のNBAドラフトでは1位指名を獲得し、NBAで9シーズンプレーし、オールスターにも2回の出場を果たした。
NFLの名門ダラス・カウボーイズでスーパーボウル優勝に貢献したランニングバックのデュアン・トーマスさんが、8月4日に77歳で逝去。米紙『ヒューストン・クロニクル』によると、亡くなった原因については発表されていないようだ。
スーパーボウルで優勝したシーズンには、タッチダウン数でNFLトップに立つなど活躍。メディアに対しての奔放な発言がなければ、NFLスーパーボウルMVPを大差で獲得していただろう。
ボート選手としてオリンピックにも出場し、一時代を築いたロシア出身のヴィアチェスラフ・イワノフさんが8月5日に86歳で亡くなった。死因は発表されていない。
ボート競技に出場した1956年、1960年、1964年のオリンピックで3連覇を達成。シングルスカル競技でオリンピック金メダルを3回連続で獲得した史上初の選手となった。
米紙『ガーディアン』によると、自転車競技選手としてオリンピックに5回出場したダニエラ・ラレアルさんが、食べ物を喉に詰まらせて亡くなった。享年50。
ラレアルさんはベネズエラで最も有名なアスリートの一人で、1992年、1996年、2000年、2004年、2012年の計5大会のオリンピックに出場。一方で、現役キャリアの晩年にはベネズエラ政府を公然と批判したことで、米国への亡命を余儀なくされた。
「デストロイヤー」の異名でも知られるアル・アトルズさんは、NBAの強豪ゴールデンステート・ウォリアーズのレジェンド。選手として11シーズン、コーチとして13年間同チームに在籍。コーチとして指揮を執った1975年には、同チームをNBAチャンピオンに導いた。
背番号16はチームの永久欠番となり、2019年度にはネイスミス・メモリアル・バスケットボール殿堂入りを果たした。家族ら近親者に囲まれて自宅で安らかに亡くなったという。享年87。
元サッカー・イングランド代表監督のスヴェン・ゴラン・エリクソンさんが膵臓癌との闘病の末、8月26日に76歳で逝去した。
スウェーデン出身のエリクソンさんは、イングランド代表を2つの主要トーナメントで準々決勝に導いた。イタリアではASローマやラツィオといった名門チームを指揮し、監督としてのキャリアのなかでセリエA優勝や2度のイタリアカップ制覇、UEFAカップウィナーズカップ優勝を成し遂げた。
ウルグアイ出身で同国の強豪チームであるクラブ・ナシオナルに所属するサッカー選手フアン・イスキエルドさんが、8月27日に逝去。南米最強クラブを決めるコパ・リベルタドーレスのサンパウロ戦の終了間際にピッチ上で倒れ、不整脈に伴う心肺停止により、そのまま帰らぬ人となった。