日本卓球界のエース、張本智和選手のパリ五輪までの道のり
パリ五輪で卓球の男子シングルス第1戦が行われ、張本智和選手がベルギーのマルタン・アレグロをストレートで下し、ート勝ちしてみごと初戦を制した。
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張本智和選手は2017年に史上最年少記録の14歳でワールドツアー優勝を決め、世界に衝撃を与えた。「怪物」と称され、数々の最年少記録を塗り替えながら日本のエースへと成長した張本選手の軌跡を追っていこう。
『サンケイスポーツ』紙によれば、張本選手は2003年に宮城県で生まれたが、両親は共に中国出身の元プロ卓球選手でコーチとして来日していた。卓球を始めたのは2歳の時。しかし、スパルタ英才教育とは無縁で、町の卓球場で教えていた両親は子供を特別扱いせず、普段の練習も2時間ほどだったという。
画像:Instagram, @harimoto__tomokazu_1711
張本選手は小学4年生の時に日本国籍を取得した。全日本選手権で一般の部に出場するには日本国籍が必要だったからだ。ゆくゆくは中国に戻ってコーチになろうと考えていた両親は、複雑な心境になったという。「Olympics.com」が伝えた。
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『Number』誌によれば、当初は複雑な思いもあったが「東京五輪で金メダルをとりたい」という息子の夢を叶えるには最適解だと夫婦で考え決断したのだそう。それ以降、ふだんは中国語でアドバイスをしているが中国の選手と対戦する時は日本語で指示するようになったという。
張本選手はこれまで数々の最年少記録を塗り替えてきた。2016年の世界ジュニア選手権を大会史上最年少の13歳で制すると、翌年はシニアに参戦。推薦枠で出場した世界選手権で、史上最年少でベスト8入りを果たした。
2018年の全日本選手権では10度目の優勝を目指していた不動のエース、水谷隼選手を破り頂点に立つ。さらにワールドツアーを2度制し、国際卓球連盟主催のワールドツアーグランドファイナルを大会史上最年少で制したことで、15歳6か月という史上最年少記録で世界ランキングトップ3入りを果たした。
そんな破竹の勢いの「怪物」が、近い将来世界の頂点に立つことを誰もが信じて疑わなかった。しかし、それが重圧となり、張本選手を押しつぶしていく。
『朝日新聞』によれば、東京五輪前に張本選手は「もし生まれ変わっても、卓球をやりますか」との問いにこう答えたという:「やらないですね。今、この状況だったらやらないと思います。スポーツはやりたいけど、負けても楽しいと思えるくらいで」
また「NHKニュース」のインタビューで、五輪延期が決定した時の気持ちをこう語っている:「東京オリンピックの代表と言われることがまた1年続くのかという、つらい気持ちがあった。早く東京オリンピックをやって楽になりたいという気持ちもあったので、またこの状況が続くんだなって」
東京五輪の個人は16強に沈んでしまう。しかし見事な立て直しで続く団体戦では全勝。男子団体の銅メダルに大きく貢献した。そんな喜びもつかのま、苦悩の時は続いた。
「楽しい時期は一瞬で、15歳ぐらいから苦しい5年間だった。ワールドツアーで優勝しても『1年ぶりか』『ギリギリだったな』とか。海外で勝ってその時はすごいと言われても、また日本で負けたら『結局、勝てないな』と。耐えるしかないけど、苦しかった」『スポーツ報知』紙が報じた。
そんな張本選手に光の兆しが見え始めたのは2022年のWTTチャンピオンズ。0-3からの大逆転勝利を決め、国際大会では1年4ヵ月ぶりの優勝を飾ったのだ。
「卓球レポート」によれば、張本選手は13~14歳の頃に活躍したメリットが、今になってやっと現れてきたと感じているという。五輪を含め出たことがない大会がなく、勉強で言えば20代は復習で、これまでに解いた問題に答えるだけだというのだ。
2024年のワールドカップは銅メダルを獲得した。この大会で張本選手が2019年に作った史上最年少記録を破ったのが5歳年下の妹、美和選手(15歳)だ。卓球界で初となる、きょうだいでメダル獲得となった。
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張本選手は得点を挙げるごとに「チョレイ!」と叫ぶ。すでに代名詞となっており、『テレ朝ニュース』で本人も「僕、名前よりもそっち(チョレイ)で呼ばれることが多くて」と語っている。しかし、本人には「チョレイ」と言っている感覚はなく、テレビで取り上げてもらった時のはじめてのテロップが「チョレイ!」だったからだという。
張本選手は妹の美和選手と共に、この夏開催されるパリ五輪の日本代表に選ばれている。苦悩の時を乗り越え、逞しく成長した日本のエースが、大舞台で「チョレイ!」の叫びをとどろかせる。