遅い球でも打ちにくい、元MLB投手マーク・アイクホーンの軌跡

名投手マーク・アイクホーン
トロント・ブルージェイズに入団
出世の階段をのぼる
苦いプロデビュー
負傷によってスピードを失う
マイナーリーグに戻る
サブマリン投法
サブマリン投手は少ない
スペシャリスト
腕力よりも技術で勝負
アイクホーンは遅いが打てない
プロ最高のシーズン
右打者は打てない
ふたたびの怪我
チームへの貢献
キャリアの終わり
名投手マーク・アイクホーン

メジャーリーグ歴代の名投手たちのなかに、遅くて打ちにくい球を投げたマーク・アイクホーンというピッチャーがいる。だが、彼の投げる球がはじめから遅かったわけではない。

トロント・ブルージェイズに入団

トロント・ブルージェイズのファンサイト『Bluebird Banter』の記事(トム・デイカーズ著)によると、アイクホーンは1979年、アマチュア・ドラフトの2巡目で同球団に拾われた。全体では13位の指名だった。

出世の階段をのぼる

当時19歳だったアイクホーンは、カブリロ・カレッジで投手と遊撃手のポジションを守っていた。ブルージェイズに入団すると、ファームチーム(米国マイナリーグの球団)でめきめきと頭角をあらわし、1982年には7回にわたって一軍の試合に呼ばれたとトム・デイカーズは書いている。

苦いプロデビュー

同記事によれば、アイクホーンはプロデビューしたものの、最初の数試合の結果は成功とはほど遠いものだった。成績は0勝3敗、防御率は5.45だった。さらに悪いことに、肩を負傷してしまった。

負傷によってスピードを失う

「負傷によって、投球のスピードが落ちてしまった」とデイカーズは書いている。だが、塞翁が馬というべきか、アイクホーンはその負傷のおかげで独特なフォームを獲得し、MLBの偉大な投手として名を残すことになる。

マイナーリーグに戻る

アイクホーンは負傷後マイナーリーグに戻り、コーチと二人三脚でサブマリン投法とよばれる、かなり特殊なピッチングフォームの習得に取り組んだ。

サブマリン投法

サブマリン投法は日本ではアンダースローとも呼ばれるが、上半身を傾けて下から放るような投法である。写真はボルチモア・オリオールズ時代のチャド・ブラッドフォード。日本のプロ野球では、元楽天の牧田和久、ソフトバンクの高橋礼、西武の與座海人などがアンダースローの投手である。

写真:Keith Allison, own work, https://en.wikipedia.org/wiki/Submarine_%28baseball%29#/media/File:Bradford_delivery.jpg

サブマリン投手は少ない

同じサイドの打者と対戦する場合(つまり、右投げ対右打ち、左投げ対左打ちの場合)、他のピッチャーよりもサブマリン投手が圧倒的に有利とされている。しかし、このフォームを採用しているピッチャーは現在のメジャーリーグではとても稀である。

スペシャリスト

「サイドスローやアンダースローのピッチャーは、スペシャリストとして重宝される傾向がある。よくあるのは“ワンポイントリリーフ”で一人かせいぜい二人の打者と対戦するケースだ」と、『ニューヨーク・タイムズ』のスポーツ記者、ダニエル・アレンタックは書いている。

腕力よりも技術で勝負

「サイドスローやアンダースローの投手は、力ずくでねじふせるということはほぼ皆無で、ボールを沈ませて打者を打ち取るのが身上である」とアレンタックは書いている。

アイクホーンは遅いが打てない

アイクホーンは当時のリーグで最も遅い球を投げるピッチャーだったが、右打者にとってきわめてヒットが打ちにくいピッチャーだったと、トム・デイカーズは書いている。

プロ最高のシーズン

1986年、アイクホーンはメジャーリーグに復帰し、ブルージェイズのリリーフ投手として自身最高となるシーズンを戦った。彼はその年、平均防御率1.72を記録した。

右打者は打てない

デイカーズの記事にあるように、右投げのアイクホーンは左打者にはけっこう打たれたが、右打者にめっぽう強かった。『スポーティングニュース』紙は1986年、彼を最優秀新人投手に選んでいる。

ふたたびの怪我

だが、翌年の防御率はふるわなかった。89試合に登板して防御率3.17。そしてふたたび怪我に見舞われる。

チームへの貢献

ブルージェイズは1990年、アイクホーンの保有権をアトランタ・ブレーブスに売却し、アイクホーンはブレーブスで1シーズンをプレーした。FAとなった彼をロサンゼルス・エンゼルスが拾い、その後エンゼルスからの交換移籍でふたたびブルージェイズに戻る。ブルージェイズに戻ってすぐさま、彼は1992年のチャンピオンシップシリーズとワールドシリーズに1試合ずつ登板し、同チームの勝利に貢献したのだった。

キャリアの終わり

マーク・アイクホーンは翌年1993年のチャンピオンシップシリーズとワールドシリーズにも1試合ずつ出場した。これらの4試合で通算4.1イニングを完封したと、トム・デイカーズは書いている。アイクホーンはその後もチームを渡り歩き、メジャー登板は1996年が最後となった。投手としての通算成績は、防御率3.00、登板563試合、投球イニングは885.2回だった。

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