1990年代に世界で最も稼いだアスリートたち
1990年代はあらゆるスポーツにとって、変革の時代だったと言えるだろう。歴史的な記録が次々と打ち立てられただけでなく、アスリートの収入も大幅に増加したのだ。テレビ放映権の高騰やスポンサー料の高額化に伴い、アスリートたちは超大型契約を結ぶようになった。
ここでは、1990年代に最も稼いでいたアスリートたちと、彼らが結んだ巨額の契約内容について詳しく見ていこう。
選手契約:ロサンゼルス・キングスとの8年契約で2,550万ドル(約40億円)
スポンサー契約:ナイキ、アッパーデッキなどから年間推定500万ドル(約7億7,000万円)
グレツキーはチームでの年棒とスポンサー料により、90年代初めには年間収入が1,000万ドル(約15億円)を超えていた。米紙『ロサンゼルス・タイムズ』によると、アイスホッケー界で最も収入が高く、「アイスホッケーの神様」としての地位を確固たるものにした人物だ。
試合収入:1997年のマイク・タイソンとの再戦で3,500万ドル(約54億円)
ホリフィールドの収入が最も高かったのは1997年のマイク・タイソンとの再戦時で、1試合当たりの収入は当時の最高額である3,500万ドル(約54億円)だった。米スポーツ専門チャンネル「ESPN」によると、ホリフィールドは1990年代を通して、ボクシング界で最も稼いだ選手の一人だった。
選手契約:ロサンゼルス・ドジャースとの3年契約で1,300万ドル(約20億円)
日本野球界からMLBへの扉を開けた、野茂英雄。移籍の際にはドジャースと1,300万ドル(約20億円)の契約を結んでいる。米紙『ロサンゼルス・タイムズ』によれば、日本での非公開スポンサー契約と合わせると、野茂の年間収入は1,000万ドル(約15億円)を超えたという。
スポンサー契約:ナイキとの10年契約で2,000万ドル(約30億円)
テニス界の異端児、アンドレ・アガシはナイキやキヤノン、アメリカン・エキスプレスなど数々の大企業とスポンサー契約を結んでいた。彼の年間収入は2,500万ドル(約38億円)を超え、米誌『フォーブス』によると、90年代を通してテニス界で最も稼いだ選手の一人だったそうだ。
スポンサー収入:年間2,000万ドル(約30億円)
プロゴルフ選手としてのキャリアのピークが過ぎた後も、パーマーは多くの企業とスポンサー契約を結んでいた。同誌によると、ペンズオイルやハーツ、ロレックスなどから、年間2,000万ドル(約30億円)のスポンサー料を獲得。プレーの機会は減っていたものの、パーマーは90年代で最も稼いだアスリートの一人となった。
選手契約:ロサンゼルス・レイカーズとの7年契約で1億2,100万ドル(約186億円)
シャキールが1996年にレイカーズと結んだ契約は、当時のNBA史上最高額だった。ペプシやリーボック、ネスレからの多額のスポンサー料もあり、90年代の終わりには年収2,000万ドル(約30億円)近かったと米紙『ニューヨークタイムズ』は報じている。
スポンサー契約:ナイキと4,000万ドル(約61億円)(1996年に締結)
タイガー・ウッズがナイキと結んだ契約は、スポーツ界でも最大規模のスポンサー契約の一つとなった。その他にも、タイトリストやビュイック、アメリカン・エキスプレスとの契約で年間5,000万ドル(約77億円)以上を稼ぎ、米誌『ゴルフマガジン』によると、90年代で最も稼いだアスリートの一人とのことだ。
選手契約:フェラーリと年間3,100万ドル(約48億円)
スポンサー契約:マールボロやシェルなどのスポンサーから推定2,000万ドル(約30億円)
米誌『フォーブス』によると、フェラーリからの給与とスポンサー料により、90年代後半にはシューマッハの年収は5,000万ドル(約77億円)を超えたそうだ。
試合契約:米放送局「ショータイム」との契約により、1試合あたり3,000万ドル(約46億円)
マイク・タイソンは米放送局「ショータイム」と超大型契約を結び、1試合あたり3,000万ドル(約46億円)もの報酬を得ていた。米誌『スポーツ・ビジネス・ジャーナル』によると、この契約とペイ・パー・ビューの収益により、タイソンは1試合あたり最も稼ぐアスリートに。加えて大手ブランドからのスポンサー料で、その収入は莫大なものとなっている。
選手契約:1997/98シーズン、シカゴ・ブルズと3,300万ドル(約51億円)
スポンサー契約:ナイキ、ゲータレードなどから年間推定4,500万ドル(約70億円)
1997/98シーズンにマイケル・ジョーダンが結んだ契約は、当時のNBA史上最高額だった。スポンサー契約も合わせると、ジョーダンの年収は1997年だけで7,800万ドル(約120億円)を超え、1990年代を通して最も稼いだアスリートとなった。