4つの世界ギネス記録をもつ車いすテニスの小田凱人選手:パリ・パラリンピックまでの軌跡
8月28日に開幕するパリ・パラリンピックで、車いすテニスの小田凱人選手は五輪初出場にして金メダルの最有力候補となっている。今回は破竹の勢いで世界の頂点まで上りつめた小田選手を追って行こう。
『SPUR』誌によれば、小田選手はプロサッカー選手になることを目指していたが、9歳の時に骨のがんである「骨肉腫」を発症。左足の股関節と大腿骨の一部を切除し人工関節を入れる大手術をうけ、その後遺症で長い距離の歩行が困難になってしまったという。
画像:Instagram, @tokitooda_official
同誌によれば、失意の中、病院のベッドの上でロンドン・パラリンピック車いすテニス決勝の動画をみたことが転機となった。金メダルを獲得した国枝慎吾選手に魅了され、世界一を目指すことを決意。それまでとは一転してリハビリに励むようになり、退院後すぐに車いすテニスを始めたという。
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なんと車いすテニスを始めてからわずか4年で、小田選手はジュニアの世界ランキング1位にのぼりつめてしまった。14歳11ヵ月、史上最年少記録を更新してのジュニア世界一だった。そして、翌年の2022年にはプロへ転向。
2023年、絶対王者として長きにわたって車いすテニス界を牽引していた国枝選手(38歳)が引退を表明した。『朝日新聞』によれば、「昨年10回目の年間王者になったことで、もう十分やりきったという感情が高まり、決意した」という。
しかし、「国枝選手に勝ちたいという気持ちが競技生活のモチベーションになっていた」小田選手は、一度も勝てないうちに国枝選手に引退されてしまい、悔しくて落ち込んだと『GQ JAPAN』誌のインタビューで語っている。
目標を失うも、車いすテニス4大大会の全豪オープンで準優勝すると、全仏オープンとウィンブルドン選手権を史上最年少で制した。さらに17歳1ヵ月で世界ランキング1位の座に輝く。この3つの最年少記録に加え、グランドスラム車いすテニスシングルス最年少優勝者として、ギネス世界記録に登録された。
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元プロテニス選手の松岡修造が日本テレビの『しゃべくり007』で、小田選手を「世界の誰一人もできない、不可能なテニスをしている」と評した。サービスラインまで前に出て打つサーブリターン、時速170kmの高速サーブなどを理由にあげている。
小田選手の強みは技術面だけではない。何事にもとてもポシティブでメンタルが強いのだ。『婦人公論』誌のインタビューでこう語っている:「今では『車いすテニスの小田凱人』としてたくさんの方にしってもらえていることが嬉しい。それに、10代後半で発症することの多い骨肉腫に9歳でなったことは運が良かったとすら思っています。そのおかげで、車いすテニス人生のスタートを早く切ることができ、こうして最年少で活躍できているわけですから」
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パリ・パラリンピックで小田選手が狙うのは金メダルだが、見据えているのはそのさらに先。:「僕がボールを打つことで、世界を変えていける、そういう舞台になってほしい」
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