8人の女性殺しの嫌疑がかけられた英国ボクサー:未解決事件「ジャック・ザ・ストリッパー」とは
かつて英国人にとって、フレディ・ミルズは国民的なボクサーだった。先の大戦で示された同国のタフな性格を体現するかのように、持ち前の執拗さでもって対戦相手を最後には打ち負かしたからだ。自分よりも大きいボクサー、パワーのあるボクサー、スピードのあるボクサーに対しても彼は一切ひけをとらなかった。
ところが、そのボクサーには別の顔があったとする説がある。英紙『ザ・サン』で犯罪記事を担当していたマイケル・リッチフィールドの告発によると、フレディ・ミルズは1960年代、ロンドンで8人の女性を殺害したというのだ。
この連続殺人事件の被害者はみなストリートガールで、服を脱がされたむごい遺体となってテムズ川付近で発見されている。事件のこのような特徴から、犯人には「ジャック・ザ・ストリッパー」という異名がつけられた。しかし犯人は今も捕まっていない。
前出のマイケル・リッチフィールド記者によると、フレディ・ミルズは自身の罪を、事件の捜査を担当していたロンドン警視庁のジョン・デュ・ローズに自白したという。二人ともフリーメイソンの一員という共通点があった。
「ジャック・ザ・ストリッパー」の犠牲者は少なくとも8人いるとされており、いずれの遺体もテムズ川沿い、ロンドン西部のハマースミスで1964年から1965年にかけて発見された。
フレディ・ミルズは1919年生まれ、英国ボクシング界でゆっくりとではあるが着実に力を伸ばし、彼一流の攻撃的なスタイルと、打たれてもなかなか倒れないスタミナで勝利をものにしてきた。
1942年、ミルズはトッテナムの「ホワイト・ハート・レーン」スタジアムで3万人の観衆に囲まれながら、レン・ハーベイ(Len Harvey)に挑戦し、ノックアウトで勝利を収め、BBBofC(英国ボクシング管理委員会)英国ライトヘビー級王座のタイトルを獲得した。
国内タイトルに飽き足りないミルズは、世界タイトル挑戦のチャンスをうかがった。念願叶って、世界ライトヘビー級王者のアメリカ人ボクサー、ガス・レスネヴィチ(Gus Lesnevich)と試合を組むことに成功するが、第二次世界大戦でミルズが英国空軍に従軍したことでこのタイトルマッチはしばらく延期となってしまう。
世界タイトル初挑戦の一戦は、1946年5月に実現した。ミルズのホームである英国での一戦だったが、強打の応酬のすえにテクニカル・ノックアウトで敗れてしまった。
1948年7月、前回の対戦からおよそ2年後、ミルズとレスネヴィチは再戦を果たす。今回はロンドンのホワイトシティ・スタジアムでの一戦、4万6千人の観衆が詰めかけた。ミルズは獣のようなパワーと攻撃性を発揮し、判定勝ちを収めた。
それからわずか5年後、弱冠30才にしてミルズはプロボクサーのキャリアに終止符を打つ。ひとたびグローブを吊るすと、その知名度を利用してビジネスの世界に参入する。レストランを開業し、不動産投資を始めるのだ。
この時期、ロンドンはギャングをはじめとする犯罪組織によって牛耳られていた。なかでも恐れられたのは、ロニーとレジーのクレイ(Kray)兄弟。この双子の兄弟は、加減を知らない暴力性で1950年代に名を馳せていたのだ。ミルズは50年代を通してロニーの親友であり、その友情は60年代前半にかけて続いた。
ロニー・クレイの元妻であるケイトはこう主張している。「ロニーとフレディはとても仲が良かった。あんまり仲が良いので、二人は恋人なのかしらとみんなが思うほどだった。ロンが亡くなる少し前にそのことを尋ねてみたら、そんなことあるものか、と答えたけれど」
1965年7月24日、ミルズは自身の車の中で、銃撃を受けて死亡しているのが発見された。銃弾は右目を貫通していた。多くの憶測が飛び交ったが、警察は自殺と断定。一説によれば、犯人は中国人ギャングの一員で、ミルズが経営しているナイトクラブを乗っ取るためということだった。
暗黒街にかつて属していたジミー・ティペット・ジュニア(Jimmy Tippett Junior)はフレディ・ミルズの死が自殺であったとみており、次のように証言している。「フレディは、警察が連続殺人事件の真相に気づきはじめ、捜査の手が自分に伸びるのではと気が気じゃなかった。そこで、裁判を受けるよりは、いっそひと思いに自殺しようと決めたんだな。はた目にも明らかだったが、ぼんやりしたり、発作的な抑うつに苦しんだりしていたようだ」。この元ギャングによる証言は、ミルズが「ジャック・ザ・ストリッパー」であったとするリッチフィールド記者の説を補強している。
ジミー・ティペット・ジュニアの父は、ミルズの同僚ボクサーだった。ジミー・ティペット・ジュニアは父とミルズの関係性についてこう語っている。「その当時、ボクサー仲間は一種のフリーメイソン的な一団を作っていた。ミルズと親しかった多くの仲間が、俺の親父もその一人だが、そのころ耳にしたことについては今も口をつぐんでいて、記録に残る場所では何ひとつ言おうとしない」
連続殺人事件が起きてから現在までに過ぎ去った時間のことを考えると、フレディ・ミルズがシリアルキラーか否かについて、このさき決定的な証拠が得られるとは考えにくい。だが、ミルズの死とそれを取り巻く謎めいた状況、知人たちの申し合わせたような沈黙からして、彼がシリアルキラーであったという説はこれからもまことしやかに語られるだろう。