サッカーU-23フランス代表監督ティエリ・アンリ:かつて苦しんだ「うつ」の経験を語る
9日、パリ五輪の男子サッカー決勝が行われ、スペインとフランスが対峙。ティエリ・アンリ率いるU-23フランス代表は40年ぶりの金メダルを目指し、激戦を繰り広げて延長戦にもつれ込んだ末に3-5で敗戦。銀メダルを手にした。
ティエリ・アンリは1990年代後半から2000年代はじめにかけて、フランスが誇る世界最高峰のフォワードとして活躍した。
アーセナルFC在籍時の活躍がとくに有名だが、ASモナコ、ユヴェントスFC、FCバルセロナなどでもプレーし、成功に彩られた輝かしいキャリアを歩んだ。
しかし、現役時代の彼はたえず苦しい思いを抱えていたという。
スポーツ界で「うつ」の問題が注目されるようになっている。アンドレス・イニエスタ、ハビエル・エルナンデス、デレ・アリ、ジェシー・リンガードなど、サッカー選手もうつに苦しむ者は多い。ティエリ・アンリもメンタルヘルスの問題を抱えながら、ピッチに立っていたのだった。
彼の場合、うつの原因は幼いころまでさかのぼることができる。
1977年生まれのアンリは、1994年にデビューを果たし、2014年に引退を表明している。現在はサッカー指導者として活動しており、2024年1月、起業家スティーブン・バートレットのポッドキャスト「The Diary of a CEO」に登場した。
そのポッドキャストのインタビューで初めて、プロとして活躍した期間を通じて、そして現役を退き指導者に転向してからも悩まされている「うつ」の症状について明かすことになったのだ。
うつ状態を招いた大きな原因は、父が息子に大きな期待をかけたことだった。父はもっぱら、アンリを偉大なサッカー選手にすることだけを考えていたのだった。
そこには親としての共感も愛情もなかったと、ティエリ・アンリは語っている。
ティエリ・アンリは自分が生まれた時に父が何と言ったのか、ポッドキャストで語っている。アンリの父は、生まれてきたアンリを両手に取り上げると、「この子はすばらしいサッカー選手になる」と言ったのだ。
アンリが5歳になるとサッカーのトレーニングがはじまった。自分は成功すべく「プログラム」されていた、と彼は語っている。父の要求は非常に厳しかった。アンリが試合でどんなに素晴らしい活躍を見せても、何かしら非を見つけては批判したのだ。
ティエリ・アンリの両親は彼が8歳のときに離婚した。これは当時のアンリにとってつらい出来事となったが、さらに、サッカー選手になるために13歳で家を出なければならなかったことも、少年の心に傷を残した。
幼い頃から父の批判にさらされてきたアンリは、つねに自分の欠点に意識を向けるようになったという。父親を喜ばせることは彼にとって最も難しいことでありつづけたと、アンリは前述のポッドキャスト番組で語っている。
アンリは子供のころから、弱みを他人に見せないよう教え込まれたと語り、「子どもでいられるような時間がなかったようだね」と、インタビュアーのスティーブン・バートレットはコメントしている。
そうした少年時代を経て、ティエリ・アンリは今度は父だけでなく、チームメイトやファンや指導者を喜ばせようと、無意識のうちに自分にプレッシャーをかけるようになっていく。
前述のポットキャスト番組で、アンリは自分のふさぎがちな心をかばいながら、「まっすぐ歩いていたわけではないにせよ、少なくとも前には進んでいた」と語っている。「自分の足で立って、一歩一歩前へ歩き続けなければならないと、そう教えられてきたから」だった。
しかしそうした前進の努力は、新型コロナウイルスの大流行によって停止することになる。
新型コロナウイルスの大流行が起きた時、アンリは米メジャーリーグサッカーのモントリオール・インパクトで監督をつとめていた。彼はモントリオールに閉じ込められ、子供たちに1年間会うことができずつらい思いをすることになる。そんななか、彼は涙を流すようになる。泣いていたのは自分ではなく、自分の中の小さな自分、まだ何者でもない無防備な自分自身だったとアンリは語っている。
結局、新型コロナウイルスのパンデミックにより、ティエリ・アンリは自分のうつ状態に向き合う大きな契機を得た。これまで中途半端にやりすごしてきた問題に対し、正面から向き合うことにしたのである。目をそらすことは「正しいこと」ではなかったと、アンリは前述のポッドキャストで語っている。
そして現在、ティエリ・アンリはU-21フランス代表の監督を務めている。パリ五輪という大舞台では惜しくも優勝を逃したものの、栄えある銀メダルを母国にもたらした。