BMXの中村輪夢選手、パリ五輪でリベンジを狙う
東京五輪から正式種目に加わり、注目を浴びるようになった自転車競技のBMXフリースタイル。今回は日本のBMX界の絶対的エース、中村輪夢選手をおっていこう。
BMXには速さを競う「レーシング」もあるが、中村選手がメダルを狙うのは「フリースタイル」の方だ。曲面やスロープを組み合わせた会場で、ジャンプや回転などのトリックを行い難易度やオリジナリティなどを競う。
2002年2月、中村選手は京都府に生まれた。レッドブルのサイトによれば、元BMXライダーで現在はBMXショップを経営する父、辰司さんの影響で自然とBMXにまたがるようになった。3歳になる頃には補助輪なしで乗れるようになっていたという。
輪夢(りむ)という名前は、自転車のタイヤを支えるリムに由来し、漢字には「車輪で五輪の夢」の願いが込められている。元BMXライダーの父親の存在とあいまって、生まれる前からBMXで五輪を目指すことが義務付けられているようなライダーだ。
初めて大会に出場したのは4歳の時。小学校高学年になる頃には、ジュニア部門の全ての大会で優勝を重ねるようになっていた。
2015年にアメリカで行われた13~15歳クラスの大会で優勝すると、2016年には14歳で世界の強豪が集うアクションスポーツイベント「G-Shock リアルタフネス」を制した。
レッドブルのサイトによれば、「G-Shock リアルタフネス」を制したことで、レッドブルやジーショックといった大手企業とスポンサー契約を結ぶことになった。当時、進学について悩んでいた中村選手はBMXのプロとして生きていくことを決意し、時間的融通のきく通信制の高校に進学したという。
2019年、UCIワールド杯広島大会で銀メダルを獲得、日本人として初めて表彰台に上がった。また、同年のエクストリームスポーツ最高峰の大会「X Games」でも準優勝を決め、日本人初、さらにはBMXパーク史上最年少のメダリストという快挙を成し遂げた。
中村選手の得意技が「スーパーマン」だ。ハンドルだけを握り、サドルとペダルから体を離してスーパーマンのように空を飛ぶという離れ業を指す。
レッドブルのサイトによれば、中村選手は「誰よりも高く飛び、誰よりも目立つこと」を目指していた。17歳くらいの頃までは、そうすることでしか世界と戦えなかったからだ。最近は技の難易度やバリエーションでも勝負ができるようになったので、高さを出しつつも他の人とは被らない技を編み出すことに力を注いでいるという。
メダルを期待されていた東京五輪は、5位に終わってしまった。左足かかとを粉砕骨折し、全治5か月の大ケガを負ったばかりで、五輪直前はまったく練習することが出来なかったという。
『東京新聞』によれば、痛み止めを服用しての参戦となったが「調子は良かった。単純に力不足」と全く言い訳はしなかった。そして、パリ五輪で「この借りを返したい」と雪辱を誓ったという。
2022年、そんな悔しさを、アラブ首長国連邦で開催された世界選手権にぶつけた。結果、東京五輪で金メダリストとなったローガン・マーティン選手を抑えて優勝。日本人として初めて世界選手権を制した。
中村選手は『日刊スポーツ』紙でこう語っている:「東京五輪は『メダルを取って盛り上げたい』という思いが強すぎました。僕、日本の大会では『絶対勝たな』と空回りしてしまうんです。パリでは何も考えず、自分のやりたいことに集中したいですね」
2023年、中村選手は全日本選手権で圧倒的なスコアを出して優勝を飾り、大会5連覇を果たした。だが、五輪の悔しさは五輪でしかはらせない。虎視眈々と東京五輪のリベンジを狙う。