F1界を震撼させた大事故:近年の10大アクシデントを振り返る

危険きわまりないスポーツ、カーレース
ときには大惨事を招くことも
近年の大事故
マーク・ダナヒュー(1975年)
フランソワ・セベール(1973年)
ヘルムート・コイニク(1974年)
トム・プライス(1977年)
ロニー・ピーターソン(1978年)
脚のけが
ジル・ヴィルヌーヴ(1982年)
致命的な頸部骨折
リカルド・パレッティ(1982年)
避けられずに追突
ローランド・ラッツェンバーガー(1994年)
アイルトン・セナ(1994年)
ベテランだったが……
ジュール・ビアンキ(2014年)
9ヶ月にわたる治療の末……
危険きわまりないスポーツ、カーレース

モータースポーツの世界最高峰、「Formula 1(フォーミュラ・ワン)」通称「F1」はその名声はもちろん、危険度の高さにおいても世界屈指のスポーツとして知られる。

 

 

ときには大惨事を招くことも

実際にF1史上、レース中に致命的な事故に見舞われたドライバーは決して少なくない。

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近年の大事故

そこで今回は,近年発生した10件の大惨事を振り返ってみることにしよう。

マーク・ダナヒュー(1975年)

マーク・ダナヒューの場合、オーストリアGP出場中にタイヤのパンクに見舞われ、サーキット最速のコーナーでクラッシュ。事故直後には大けがを負っているように見えなかったが、血栓症で意識を失い、翌日にこの世を去ってしまった。

 

フランソワ・セベール(1973年)

1973年のワトキンズ・グレン・インターナショナルで表彰台を争っていたフランソワ・セベールだが、コントロールを失ったマシンがトラック右側に激突。ガードレールがめくれるほどの衝撃で、セベールは身体を真っ二つに引き裂かれてしまった。

 

ヘルムート・コイニク(1974年)

セベールと同じくアメリカGPで非業の死を遂げたとき、オーストリア人ドライバー、ヘルムート・コイニクの出走回数はわずか3回だった。サスペンションの不調でマシンはコーナーに激突。ガードレールを突き破る大惨事となり、コイニクは首を切断されてしまった。

 

 

トム・プライス(1977年)

南アフリカGPの決勝でトム・プライスは、炎上した別のマシンの消火に向かっていたマーシャルに激突。跳ね飛ばされたマーシャルは即死、プライスも彼が運んでいた消火器に頭をぶつけ、その場でこと切れた。

ロニー・ピーターソン(1978年)

イタリアGPにおいて、スターターがスタートランプを早く点灯させ過ぎる手違いが発生。後方スタートのマシンが前方集団に突っ込み、第一コーナーで全員を巻き込むクラッシュに発展してしまった。

 

脚のけが

これによりピーターソンのマシンは金属製のガードレールに直撃、炎上。本人は両足をほぼ失う大けがを負って、病院に搬送されることに。ところが、翌日になって病状が急変、塞栓症にともなう腎不全で命を落としてしまった。

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ジル・ヴィルヌーヴ(1982年)

ベルギーGPの予選で、コースを譲ろうとしてスピードを落としたヨッヘン・マスのマシンに追突してしまったカナダ人ドライバー、ジル・ヴィルヌーヴ。その結果、高速で宙に放り出され、50メートル離れた地点に叩きつけられてしまった。

致命的な頸部骨折

病院に搬送されたとき、ヴィルヌーヴにはまだ脈があった。しかし、頸部に致命的な骨折を負っており、妻の到着まで生命維持装置で生かしておくことしかできなかったという。

 

リカルド・パレッティ(1982年)

このカナダGPではじめて、自力で予選を突破したリカルド・パレッティ。しかし、決勝ではスタートランプの点灯が異常に遅く、トップを走るディディエ・ピローニがストールしてしまった。

避けられずに追突

時速160キロメートルあまりのスピードで、ただ一人ピローニのマシンに追突したパレッティは胸部に重症を負い、失神。マーシャルは彼をマシンから助け出そうとしたものの、火の手が上がり作業は難航。ようやく救助されたころにはすでにこと切れていたという。

 

ローランド・ラッツェンバーガー(1994年)

ローランド・ラッツェンバーが事故でこの世を去ったのは、彼にとってまだ3度目のレースの最中だった。フロントウィングが前触れもなく脱落したことでマシンはヴィルヌーヴ・コーナーに激突、ラッツェンバーガーは頭蓋骨骨折で命を落とすことになってしまった。

 

アイルトン・セナ(1994年)

F1史上おそらく最も有名な事故となったアイルトン・セナのクラッシュも、ラッツェンバーガーが命を落とした1994年のサンマリノGPで発生している。

 

ベテランだったが……

F1で3度の優勝経験を誇るセナだが、タンブレロ・コーナーでコンクリート壁に激突。衝撃で脳機能を喪失し、命を落としてしまった。

 

ジュール・ビアンキ(2014年)

日本GPで44周目の走行中にコントロールを失い、作業中のクレーン車に激突してしまったジュール・ビアンキ。クラッシュの衝撃で意識を失い、最寄りの病院に搬送されたが……

 

9ヶ月にわたる治療の末……

ビアンキはレースの9ヵ月後まで昏睡状態にあったが、2015年7月17日に息を引き取ることとなってしまった。

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