Jリーグへ移籍した歴代の外国籍選手たち
Jリーグの発展に大きく貢献してきた外国籍のサッカー選手たち。日本へやってきた理由として、Jリーグのレベルが高く運営がプロフェッショナルなこと、給与や待遇に加えて日本の治安が良いことなどをあげている。また、Jリーグを足掛かりに欧州へステップアップしていく選手も多い。
キャリアの全盛期を過ぎてからJリーグへ移籍する選手も多かったが、近年は次世代スター候補たち、さらには現役のビッグネームのJリーグ入りも増えている。今回は、歴代の外国籍選手がJリーグを選んだ理由をおっていこう。
FCバルセロナで9度のラ・リーガ優勝を含む35のタイトルを獲得し、スペイン代表としてはUEFA欧州選手権を史上初の2連覇、2010年にはワールドカップで優勝も果たしているアンドレス・イニエスタ。そんなスペイン史上最高の選手とまで称されるスター選手が、2018年にヴィッセル神戸への移籍を発表した。
『MARCA』紙によれば、イニエスタは衰えたとは感じていなかったが、ベストを尽くせないのならFCバルセロナに留まるべきではないと考え、同時にサッカー選手であり続けたいと思っていたという。
そんな時、ヴィッセル神戸からオファーが届いた。Webサイト『Number』によれば、日本と聞いてまず思い浮かべたのは、子供の頃夢中で見ていたアニメ『キャプテン翼』だったという。スペインを離れ、日本でサッカーを続けることになったのは、『キャプテン翼』の主人公に導かれたのかもしれないとコメントした。
『神戸新聞NEXT』紙にイニエスタが語ったところによれば、安全な国に住むことは子供たちの成長にとって素晴らしい体験となり、第2の故郷となった神戸の街がイニエスタと家族をとても歓迎してくれたので「神戸にきて正解だった」という。惜しまれながら2023年7月にヴィッセル神戸を退団した。
イニエスタが神戸入りを発表した2ヵ月後、フェルナンド・トーレスがサガン鳥栖への移籍を発表した。国際Aマッチを無敗で勝ち進み、「無敵艦隊」とまで称されていた黄金時代のスペイン代表から、イニエスタに続きトーレスがJリーグ入りしたのだ。
アトレティコ・マドリードやリヴァプールFCで活躍し、イニエスタと共にスペイン代表の黄金時代を築いたフェルナンド・トーレス。
トーレスは人々の敬意や親切さ、子育てに適した治安の良さ、そして未知の国で挑戦したいという思いからJリーグへの移籍を決意した。ちなみにトーレスも『キャプテン翼』の大ファンで、サッカーを始めた理由のひとつでもあるという。
ブラジル代表として3回ワールドカップに出場し、1994年のアメリカ大会で優勝した際にはキャプテンを務めていたドゥンガ。世界の頂点を極めた翌年に、英国やブラジルからのオファーを断ってジュビロ磐田入りを決めた。
彼よりも先にJリーグで活躍していた元ブラジル代表のジョルジーニョやレオナルドから、Jリーグの運営の素晴らしさ、日本の住み心地の良さを聞かされていた。また、1984年のキリンカップで訪日して以降、日本に興味を持つようになっていたことも理由のひとつにあげている。
歴代最高の外国籍Jリーガーとして伝説的存在となっているドラガン・ストイコビッチ。「東欧のブラジル」と称されたユーゴスラビア代表で10番を背負い大活躍していたが、所属していたオリンピック・マルセイユが八百長問題をおこしてしまう。困惑していた時、名古屋グランパスエイトからオファーが舞い込んだ。
当初は短期の予定だったが、引退する2001年まで7年にわたって日本でプレーすることになった。96年にはアーセナルFCからのオファーを断ってまで日本にとどまっている。その理由として「日本でプレーする方が幸せだと思ったから」とコメントしている。
ドイツ代表としてワールドカップに3回出場し、2014年のブラジル大会では優勝も経験したルーカス・ポドルスキが、2016年にヴィッセル神戸入りを発表した。
ポドルスキは欧州のビッグクラブでプレーしていたが、アジアのクラブは初めてだった。中国からのオファーを断り、よりプロフェッショナルでレベルが高いと判断したJリーグの、自身を最も欲しがってくれたヴィッセル神戸への移籍を決意した。またインターネットで調べた神戸の街の様子が気に入り、子供のためのドイツ人学校もあることも決断要素のひとつになったという。
以前は各チーム3人までしか所属することが出来なかった外国籍の選手が、2019年からは無制限で登録できるようになった。今後はさらに多くの外国籍選手がJリーグでプレーするようになるだろう。次に日本のサッカーファンを熱狂させるのは、いったい誰になるのだろうか。