ドウェイン・ジョンソンの四代続くプロレス一家とは
世紀の変わり目にWWE(旧WWF)のスターとして活躍したドウェイン・”ザ ロック”・ジョンソンだが、プロレスラーとしてはすでに引退している。
祖父、父ともに人気プロレスラーというプロレス一家に生まれたドウェイン。三代目プロレスラーとして、祖父と父の名前を組み合わせた「ロッキー・メイビア」というリングネームで1996年にWWFデビューを果たした。
1997年の初めにはWWF・インターコンチネンタル・ヘビー級王座を獲得、タイトル防衛にも成功したドウェインだが、プロレスファンの間での評判はイマイチ。そこで、1997年の終わりごろにはヒールへの転向を決め、リングネームも「ザ・ロック」に改めた。
ヒールユニット「ザ・ネーション」内の派閥抗争や"トリプルH"との対戦で人気を博したドウェインの次なる目標はWWFの王座だった。"マンカインド"と"ビッグ・ショー"を破り、2度にわたって王座に君臨。しかし、レッスルマニアXVでは"ストーン・コールド"・スティーブ・オ―スチンに敗れている。
世紀の変わり目に向けて”ザ・ロック”の人気はうなぎ上り。WWF世界タッグチーム王座では”ジ・アンダーテイカー”や”ビッグ・ショー”との名試合に敗れたほか、長年のライバル"トリプルH"にも敗北を喫するなど戦績はイマイチだったが、その後復調。4度目のWWF王座に返り咲いた。
2000年5月、ドウェインはライバル"トリプル H"との因縁の闘いに敗れ、WWF王座のタイトルを失陥。しかし、6月に再び"トリプルH"に挑み、5回目の王座獲得を果たした。
数度にわたってタイトル防衛に成功したドウェインだが、2000年10月にはカート・アングルに敗れ、WWF王座のタイトルを失陥。一方で、"ジ・アンダーテイカー"と組んで挑んだWWF世界タッグ王座では勝利をつかみ、2001年8月には自身初となるWCW世界ヘビー級王座を獲得している。
2001年末にかけて”ザ・ロック”の主なライバルはクリス・ジェリコで、WCW世界ヘビー級王座のタイトルを2度にわたって奪われている。しかし、ライバル同士手を組んで挑んだWWFタッグ王座ではタイトルを獲得している。
2002年から2004年にかけて目立ったタイトルを獲得できなかった”ザ・ロック”。この時期のドウェインはレッスルマニア・XIXにおけるスティーブ・オースチンとの確執など、抗争に明け暮れていた。
2004年末、WWE(旧WWF)との契約が満了したドウェインは俳優としてのキャリアに集中するように。リングにカムバックするのは、父のWWE殿堂入りといった一回限りのイベントだけだ。
2011年2月にWWEのリングにカムバックしたドウェインはレッスルマニアXXVIIのホスト役として、ジョン・シナ相手に舌戦を展開。この争いにはその他のプロレスラーも割って入り、次回のレッスルマニアで決着をつけることとなった。
確執を繰り広げるジョン・シナと”ザ・ロック”だったが、”Rトゥルース”と"ザ・ミズ"が結成した「Awsome Truth Team」に対抗するためタッグを組み、勝利を獲得。一方で、WWE王座を巡る闘いでは”ザ・ロック’”がジョン・シナを破り因縁に決着をつけた。
数度にわたってWWE王座に挑んだドウェインは2013年1月に”CMパンク”を破ってタイトルを獲得。同年4月、因縁のライバル、シナに敗北を喫しタイトルを奪取されたが、重傷を負ってしまったため再戦は叶わなかった。
負傷後のドウェインは 2015年のレッスルマニアXXXやロイヤルランブルをはじめ、WWEが主催する数々のイベントにサプライズで登場。
2019年8月に引退を宣言するまで、限定イベントには姿を見せていたドウェイン。
引退を発表したドウェインはスマックダウン20周年記念で最後の闘いを披露することに。
8度のWWE王座や5度のWWFタッグ王座を含む29度のタイトル獲得を成し遂げたドウェイン。希代の名レスラーとしてプロレス史に名を刻むこととなった。